
ボールマウスの時代にはマウスパッドを随分と買い漁ったものだ。Macworld Expoのためにサンフランシスコやボストンにでかけたおりには大ぶりのスーツケースの蓋に体重をかけないと締まらないほどのあれこれを詰め帰国したものだが、その中には常に数十枚のマウスパッドがあった…。先日久しぶりに一枚のマウスパッドを入手したがそれはLisaの開発メンバー6人が写っている物だった。
Macintoshの開発者の主たるメンバーが一堂に会した写真はさまざまな機会に見ることができる。それらの中にはビル・アトキンソンやアンディ・ハーツフェルドらよく見知っている人たちが必ず見受けられるがLisaの開発メンバーらをきちんと認識するための写真を見る機会は比較の問題かも知れないが意外に少ない。
正確な調査をしたわけではないが、私の手元にある書籍等の中でその写真を見ることが出来るのはアンディ・ハーツフェルド著「レボリューション・イン・ザ・バレー」だけかも知れない。
※アンディ・ハーツフェルド著「レボリューション・イン・ザ・バレー」表紙
本書をお持ちの方は是非確認していただきたいが、その76ページには大きなテーブルの上にLisaやPro Fileあるいは基板などが並べられ、6名のLisaチームのキーメンバーがにこやかな表情で写っている。
一通り名前を記せば、後列左から、Paul Baker、Bruce Daniels、Chris Franklin、Rich Page、Larry Tesler、そして前列でLisaに触れているのがチームリーダーのJohn Couchである。よほどこの時代のAppleに詳しい方でもその顔を知っているのはLarry Tesler(ラリー・テスラー)とJohn Couch(ジョン・カウチ)ぐらいではなかろうか…。
※Lisa開発チームのキーメンバー6名が一堂に会した写真のマウスパッド
今回ご覧に入れるのはその同じ写真をマウスパッドにしたものだが、この種の多くのものと同様に正規品…すなわちAppleから正式な許諾を取って作成したものではないとみえて出来は良くない(笑)。またオリジナルな写真と比べると安易にウケを狙ったのだろうか、Lisaのモニタに表示されている部分をこれまた出来の悪いアップルロゴに変更してあるのが残念なところ…。
まあ昔はアップルロゴが付いていれば何でもといって良いほど買い漁った1人として笑えないが、マウスパッドひとつでももう少しまともに作って欲しいものである。
ところでLisaチームの中には当時別のプロジェクトとして開発が進められていたMacintoshに複雑な思い、あるいは嫌悪の情を抱いていた人たちもいた。例えばRich Pageは「MacintoshはLisaをだめにする!MacintoshはAppleを破滅させるんだ」と怒鳴り散らしたこともあったほどだが、ゼロックス社のPARCから1980年にAppleに移りLisaアプリケーションソフトウェアチームのマネージャーを務めていたLarry TeslerはMacintoshの可能性を理解し、正当な評価をしていたという。
余談だがLarry Teslerは後にNewtonプロジェクトを率いたことでも知られている。前後するがLarry Teslerこそ1979年も押し迫る頃ゼロックス社のPARC(パロアルト研究所)にスティーブ・ジョブズらが訪れた際に彼ら一行を案内し、暫定ダイナブックとしてのAltoならびにSmalltalkをデモした張本人である。
LisaといいNewtonといい、優秀な技術者であったにもかかわらずLarry Teslerの巡り合わせの悪さには気の毒になってくるではないか。
話を元に戻すが無論前記した6名はあくまでキーメンバーということであり、実際にLisaの開発には年200人以上ものハードワークを必要としたという。
今回の話しはあくまでこのマウスパッドおよびそこにプリントされている写真の範囲に終始するが、Lisaがビジネス上失敗に終わったとき、彼らの心中はどのようなものであったかを想像すると胸が痛くなる…。ここに写っているそれぞれの笑顔が空しく思えてくるではないか。
ともかくこのマウスパッドは出来は良くないが文字通りLisaのオリジナルマウスで使うには最適なもののひとつであろう。
※Lisaのオリジナルマウスで使うことに…