パーソナルコンピュータのために書かれたマニュアルは当然ながら製品の数だけ存在するわけだが、私たちの記憶に残るいわゆる「マニュアルの名品」は…となればアップルフリークなら「Apple II Reference Manual January 1978」がその代表という意見に異論はないだろう。今回はその表紙の色から「レッド・ブック(赤本)」と呼ばれて愛されたこのマニュアルをご紹介しよう。

 

これまでにも当サイトはLisaやMac 128Kなどのマニュアルとかユーザーズガイドといったものにも意識的に目を向けてきた。それはマニュアル類も立派な製品の一部であるという考え方からだ。
マニュアルは決して厚いものが良いものではなく、製品の理解を深め製品の特徴並びにその使い方を誰にでも分かりやすく解説するものが理想とされる。例えパソコンのマニュアルだとしてもそこに技術用語ばかりが羅列していては何のための“パーソナル”なのだろうかということになる。
しかしマニュアルには確実に良い物と良くない物とが存在するが、その良いマニュアルとて時代というものを無視して評価はできない。
今回はApple IIのマニュアルとしてすでに伝説になった感のある通称レッド・ブックと呼ばれ賞賛され特別視されてきた「Apple II Reference Manual January 1978」についてのお話しである。

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※1978年2月にリリーされた「Apple II Reference Manual January 1978」通称Red Bookの表紙と裏表紙

 

ご承知のようにApple IIも製造年代により様々な機種が登場し、それにともなって幾多のマニュアルが用意されたが「Apple II Reference Manual January 1978」は最初期のApple II 用に用意されたものである。まさしくその表紙に“January 1978”とあるのが生々しいではないか。
私の手元にあるレッド・ブックは表紙を含めてかなり傷んでいるが内容を確認するには十分な代物だ。
実はこのマニュアルが重要視されるのには理由がある。そのひとつは無論Apple IIというパーソナルコンピュータに関してハード・ソフトの両面から充分に知りつくすことができる点にあるが、このマニュアルの内容自体がApple IIを開発したあのスティーブ・ウォズニアック自身手書きしたものを1977年に社長としてAppleに迎えられたマイク・スコットらがリタイプしたものだからである。さらに掲載されている手書きの図版にもウォズの手によるものがある。

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※この手書きの図はApple IIを開発したスティーブ・ウォズニアックの手書きを版下にしたもの

 

Apple IIのリリースは1977年だが、このレッド・ブックは1978年2月にリリースされた。そして同年6月にはDOS 3.0がリリースされApple II本体より重要な発明だとウォズ自身も述べているDisk II (フロッピーディスクドライブ)がCES(コンシューマ・エリクトロニクスショー)で発表されている。
ちなみに思い起こせばこの1977年から1978年は個人的にもそしてパーソナルコンピュータのその後にも大きく影響する印象的な出来事が多々起こった時代であった。
私は1977年11月に結婚したが、翌月の12月になけなしの10万円をポケットに秋葉原へ行き、L Kit-8という富士通のワンボード・マイコンを購入した。その同年5月にはあのアスキー出版が資本金300万円で設立され、6月にはASCII誌の創刊号が早くも登場している。
また私は1978年暮れにコモドール社のPETも入手しパーソナルコンピュータのアーキテクチャを理解し始めることができたと同時に本格的なBASIC習得を始めた時代だった。

さて、まず申し上げておきたいこととしてこのレッド・ブックはその名の通りリファレンスマニュアルだということだ。したがって参考書、技術解説書でありApple IIを入手した際のセッティングなどを説明するガイドブックではないということだ。
無論本書は英文だが、もしその内容を100%理解できたとするなら、Apple IIのコピー品を作ることができるほどの内容である。ただし一部に印刷ミスがあるようだが…。
ともかく回路図はもとより、6502のアセンブラによるソースコードなどが満載で最先端のコンピュータという代物のハードウェア・ソフトウェアを学べる素晴らしい教科書だったのである。
とはいえ前記したようにこのレッド・ブックは現在の視点から見れば決して分かりやすい解説書ではないだろう。

確かにApple IIは本当の意味において最初のパーソナルコンピュータであることは間違いないし、箱から出して電源ケーブルとモニターをセットすれば即使えるマシンであった。そしてカセットテープからゲームなどをロードすれば簡単にカラーグラフィックスを堪能できたわけだが、当時のユーザーは良し悪しではなく現在のパソコンユーザーとは些かアプローチが違っていた…。
ひと言でいうなら当時のパソコンユーザーは程度の差こそあれ自身がプログラマであったといえよう。でなければ充分に使いこなせなかったからだ。そしてハードウェアに強い人がいれば公開された情報を元に周辺機器を開発することもできたし事実Apple IIはそうして多くのユーザーやサードパーティーに支持され広まったのだ。

例えば発刊されたばかりのASCII誌にゲームが掲載されるといっても現在のようにダウンロードできるサイトが明記されていたわけでもアプリが収録されたCD-ROMが付属していた時代でもなかった。
ゲームはすべてBASICかマシン語をダンプしたものが載っているだけで、読者はそれを徹夜でマシンに入力するのが当然のことだった。それも見間違うことのない鮮明なプログラムリストならともかく、ドットマトリックスのプリンタ出力のものはまだ良い方で、滲んで見えるプログラムリストを写したモニター画面を撮影したものが平気で掲載される時代だったのである。

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※システムモニターのダンプリストにウォズの名 “S. WOZNIAK”が見える

 

このレターサイズのレッド・ブックを開いて見るとその紙面はタイプライタの出力をそのまま版下にしたものが中心だし、サーマルプリンタだろうか…その出力はまだ見やすいほうだ…。したがって単に見やすさとか読みやすさを期待できるものではなかった。ただし当時のユーザーは情報に飢えていたというより数少ない資料を隅から隅まで…すり切れるまで読んだものだ。したがって当然のことながら、集中し時間をかけて物事に当たるわけだから理解を深めることも必然であり、このレッド・ブックはApple IIのヘビーユーザーや開発者にとってなくてはならないものになったのである。

現在のパーソナルコンピュータはApple IIが登場した時代とはその様相はまったく違う。どちらかといえばパソコンは完全にブラックボックス化され、ある種の文具であり事務機となった。
決してApple IIの時代に戻りたいとは思わないが、この「Apple II Reference Manual January 1978」を眺めているとどこかに大切な落とし物をしてきたように思うのは私だけではないだろう…。

その後Apple II関連のマニュアルはあのMacintoshプロジェクトを立ち上げたことでも知られているジェフ・ラスキンが手がけることになり、ユーザーの視点から考えられた仕様になっていく。内容は技術用語を極力避けた表現に力を入れると共に例えばマニュアルを広げた場合にそのまま机上に開いて置けるようにとリングバインダ形式になったといわれている。

【主な参考文献】
「Apple II 1976‐1986」毎日コミュニケーションズ刊
「マッキントッシュ伝説」アスキー刊