最近Macintoshユーザーになった方から質問を受けた。「Appleという会社は何故成功したのか?」と。この種の問いにはこれまで多々お話しをしてきたが、歴史には人知の及ぶところではない力が働くことも知っておくべきかも知れない。 

Apple Computerという会社の成り立ちや、そのアメリカンドリームの歴史はこれまで当サイトでもいろいろな角度からご紹介してきた。ジョブズの交渉能力の凄さやウォズニアックの技術力の高さ、そしてマイク・マークラらの資金的援助と企業経営へのアドバイスなどなどが巧くかみ合った結果であったことは間違いないだろう。無論2人のスティーブ自身もここまでAppleが成功するとは思っていなかったに違いない。 

さらにビジカルクという表計算ソフトの誕生がApple IIのキラーアプリケーションになったという事実もあったし、ウォズニアックが休暇を使ってシンプルなフロッピーディスク・ドライブを完成させたこともビジネス的には大きな成功の要因だった。 
当然Appleも創業当時からこれまで、何の問題もなくただただ大きくなったわけではないし、創業当時もさまざまな危ない橋を結果的に巧く渡ってきた結果、現在のAppleが存在するわけだ。 

しかし、少々別の角度からApple Computerという企業を眺め、「現在まで存在することになった最初の鍵は何か?」と考えるなら、その答えのひとつは「時代がApple IIの可能性を正しく評価できなかったから」という話しになる(笑)。 
なぜなら、Apple Iで旨味とビジネスの可能性を感じたジョブズたちではあったが、Apple IIを量産して販売するためには資金がなかった。そのためにジョブズは車を売り、ウォズニアックはプログラミング電卓を売ったことは知られている。しかしそんな程度の資金で世界を変えることなどできないことはジョブズたちも知っていた。 

誰しもこの時点で考えることは同じだと思う。一つは何とか必要な資金を調達すること。二つ目は自分たちのアイデアや技術を他者に売り込むことで相応の利益を上げること。そしてそれができなければ諦めることだ。 
ジョブスも抜け目なく、コモドール・ビジネスマシーンズ、ヒューレット・パッカード、そしてアタリ社などへ自身達を売り込んだという。実際、ウォズニアック自身さえ、最初は勤務していたヒューレット・パッカードを辞めて会社を興そうなどとは思っていなかったと言われている。 
アタリは当時ジョブズが働いていた会社だったこともあり、ヒューレット・パッカードとアタリにApple Iの試作を持ち込んだが、それぞれの事情もあったものの、今で言うところのパーソナルコンピュータの可能性とビジネスのビジョンを描くことができなかったため、話は旨くいかなかった。話は1976年の初頭だったと言われている。 
だから…ある意味、仕方なくジョブズとウォズニアックは自分たちだけで会社を作ろうとする…。 
その後(1976年後半)、Apple IIの試作機をつくった後もコモドール社にカラーのデモを見せてビジネス交渉をしたが、コモドールはガレージにいる2人だけの会社を買収する旨味を感じられなかったために交渉は旨くいかなかった。その後コモドールはApple IIに搭載していたプロセッサである6502を製造していたMOSテクノロジーを買収し、PETというオールインワンタイプのコンピュータを開発する。 

PET1978_12 
※筆者が1978年12月に購入したPET2001コンピュータと当時の環境 

その後の歴史はよく知られていることだが、結局ジョブズは出資者を捜し、マイク・マークラに巡り会う。そして彼が事業計画の立案と共に資金提供をすることになり、1977年にApple Computer社は法人化されることになる。 
この1977年にApple IIは発表され、囓りかけの6色リンゴが会社のロゴとして採用されることになった。 
こうしてApple Computerという会社はまがりなりにもオフィシャルスタートした。 

歴史に”if (もしも)” はタブーだというが、もしもジョブズたちがApple IやApple IIのプロトタイプを売り込んだとき、その可能性にヒューレット・パッカード、アタリ、そしてコモドールのどれか一社が注目してApple IIの権利を買ったなら、現在のApple Computerという企業はなかっただろう。 
「人間万事塞翁が馬」という諺があるが、Apple Computer社という企業の成功は、いま思い通りにことが運ばないケースがあったとしても、それが近未来には逆に幸運であったということもあり得る大変分かりやすい歴史の教科書でもあるのだ。