以前、筑摩書房から「頓智(とんち)」という月刊誌が発刊されていた。編集長は松田哲夫氏だったがその1996年1月号に紀田順一郎さんの執筆で「マルチメディア評判記第4回」と題して私の会社が毎年札幌で開催していたプライベートイベントの様子が紹介されている。今回は7年間続いた札幌でのプライベートイベントの想い出第1弾である。

 

「頓智」といっても会社名ではなくいま話題の拡張現実アプリケーション「セカイカメラ」の話でもない(笑)。かつてあった雑誌の名前である…。
「頓智」という雑誌は紀田先生をはじめテリー伊藤、荒俣宏、高田文夫、えのきどいちろう、夏目房之介、とり・みき、水木しげる、鎌田慧といった蒼々たる方々が執筆していたメチャユニークな雑誌であった。

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※筑摩書房から出版されていた「頓智(とんち)」1996年1月号表紙


さて、札幌の地で毎年開催を続けていたプライベートイベント「Macintoshの匠たち」は外から見るとありがたいことに中々に新鮮で暖かいイベントと受け取っていただいたようだが、当事者の超マイクロ企業にとってはなかなか難しい選択が続いた催事だった。
そういえば当時からも良く聞かれたものだ…。「なぜ札幌に支店があるのですか?」「なぜ札幌でイベントやるんですか?」と。

札幌に支店があるという事実がまず私らのような小さな企業に相応しくないと思う人も多かったようだ(笑)。
まあ、創業の翌年に小さいとはいえ札幌支店を開設できたのだから当時の勢いがかなりのものであったとご想像いただけると思う。
そのきっかけは札幌在住の2人のプログラマが新しい職を探していることを私の相棒から相談され、これ幸いと私の会社に受け入れたことによる。しかし2人とも既婚者であり、私の会社に就職するとはいえ子供の問題はもとよりだが生まれ育った札幌から東京に移転させるのは忍びないと考え、市内にマンションの一室を借りて札幌支店の登記をした。
そうしたムチャができたよい時代だったのである。
理窟で考えれば…申し上げるまでもなく入社する個人の生活圏の問題より企業の効率や経営面を優先することを考え、業務は東京に集約すべきだったのだろう。であれば東京と札幌間で発生する高額な通信費や交通費はゼロになるわけだから…。
しかし私の判断が甘かったと言われるかも知れないが、組織は小さくとも一辺倒な動きしかできない会社では面白くないと考えたからに他ならない。

さて札幌支店は出来たが、経営者の端くれとしてはこの札幌支店の存在を活かす方策を考えなければならない。
物価が安いとはいえマンションを借り、そこに男性2人と女性1人が常勤するわけで (後には女性は2人になる) 固定費としては小さいものではない。無論そうした固定費は当時予算的にカバーできたからの決断だったから良いとして問題はその存在をなんとか活かし、生臭いことだが単にソフトウェアの開発場所というだけでないブラス面を出したいと考えたのである。
しかし現在のようにインターネットを活用して多くの方々に認知していただける時代でもなかった…。
それに本社というか会社としては例えばMACWORLD Expo/Tokyoといったイベントに出展し、ユーザーの方々と直接接触できる機会もあったがその存在がほとんど知られないのでは面白くもなんともない(笑)。そしてビジネス面においても存在を知らしめなければ地元の企業からの開発依頼をいただくようなチャンスは生まれない…。
それまでにも多くの出会いの中から新たなビジネスチャンスが生まれることを体験していたからこそ是非札幌支店も本社とは別に…というか札幌の地を活かした「らしさ」を表現する「何か」をやらなければという気概が膨らんできたのである。

結局人を集め我々会社の存在を知っていただき、かつこれまでのソフトハウスとは些か違った面を見せたいと考えた末に本来なら裏方に回りがちな開発者、すなわちプログラマ個人にスポットを当ててみようということになった。
本社を含め3人のプログラマを“良いモノ”の作り手、主役ととらえ「Macintoshの匠たち」というメインコピーを考えた。
それまでにもソフトウェア企業の展示会といった類の催事は多々あっただろうが、それらは企業はもとより製品をアピールする企画でしかなかった。そしてひとたび人が集まる展示会となれば開発者ではなく営業担当がメディアや顧客の対応をするということが普通だった。しかし私たちはあえて作り手を見せ、その作り手を信頼していただくことで彼らが開発するソフトウェア…すなわち本来無機質なものに血を通わせ、より魅力のあるものに仕立て上げることを意図したわけである。
それが成功するなら社名の認知など後から自然に付いてくるに違いない…そう考えた。
ただし勘違いされがちなのだが、製品となるソフトウェアはプログラマだけで出来上がるものではない。確かにコーディングはプログラマの仕事だが製品企画はもとより、テストを重ね、バグを発見し、仕様の変更や機能の追加を図り、製品に同梱の魅力的なサンプルを作り、マニュアルやアイコンを作り、パッケージのデザインや製品名の決定などなどを経て売り物にするには我々マイクロ企業とて幾多の人たちの手をわずらわせる。そして1本でも多く製品を売るための努力、例えばユーザーや販売店への対応などもそつなく進めなければならない。

とはいえそれは内輪の話である。一般ユーザーや市場から見てソフトウェアの作り手が見えることは新鮮な共感を持って受け止めていただいたようで思った以上の反応があった。
1991年11月開催の第1回は札幌市資料館裏手にあった小さな貸しホールを使い低予算ながらもまずまず見栄えのする催事を企画した。ただしあくまで形式として本社側が開催するのではなく札幌支店が主催者になるということに拘ってみた。したがって地元でMacintoshを扱う企業の協力もいただきかつMACLIFE誌に開催のニュースを載せていただくなどの根回し、そして後にはMacintoshの祭典だからとアップルジャパンからスタッフを派遣していただき最新テクノロジーなどについての講演をお願いすることに奔走した。

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※イベント会場に隣接されている札幌市資料館


ということで何よりも我々がこうした催事を拘りを持って開催していることをまずは業界筋に知っていただくため、セミナーや展示をしていだたくゲストの方々は勿論だがアップルジャパン、流通企業の担当者、Mac Fan誌およびMACLIFE誌の編集長、デザイナーなどなど我々企業側の人間を別にして総勢十数名をご招待することが通例となった。そして例えば第7回目となる1997年10月のイベントではアップルジャパンの協力で次期OSと謳われていた「Rhapsody」の詳しいデモンストレーションを国内として最初にやっていただき大きな反響を得た。

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※第1回「Macintoshの匠たち」は規模は小さなイベントだったが成功だった!


そして2日間の催事が終わった翌日には有志を募って小樽を散策したりと関係者のコミュニケーションも図った…。
話を急ぐわけではないが、この第1回目の成功を足がかりに翌年1992年度には後援企業としてアップルコンピュータ(株)、キヤノン販売(株)札幌支店、ソニー(株)各社が名を連ね、協力企業としては北海道オフィス・マシン(株)、Too札幌営業所、(有)アップ、(株)ハイパーネットワーク、キヤノン販売(株)ゼロワンショップ札幌店、キヤノン販売(株)ゼロワンショップ札幌北口店、日本タイプライター(株)札幌支店、道央キヤノン事務機販売(株)といった錚々たる企業が応援してくれるイベントになっていく…。

ただし景気のよい時代は何をやっても「楽しかった」で済むが、もともとこの「Macintoshの匠たち」はMACWORLD Expo/Tokyoなどと違い、その場での商品販売を目的にした催事ではなかったし予算的には100%持ち出しであった。しかし2,3回も続けば否応なしに次年度も開催しなければならないような雰囲気になってくる(笑)。
確かにソフトハウスが主催するイベント自体が珍しい時代だったから新聞社から取材が入ることもあったものの経営側から見ると「対効果」により厳しい視点が出るのは当然だ。
毎年夏の頃になると札幌支店側から「今年の匠たちはいつやりますか?」といった話が出るようになる。
どうもこの種のことは回を重ねると当然のことながら「今年も同じように開催する」といった惰性だけで物事を決めてしまう傾向がある。そしてどこか自己満足に陥ってしまいがちだ…。そうしたマンネリ化を崩し、かつイベントを実施する現実的なメリットを模索しながら「Macintoshの匠たち」は1997年まで7回続いた…。
だから、後にこのプライベトーイベントの中止を決めたときは私自身心が沈んだ。何事も物事は始めることはやさしい。しかし回り始め、弾みがついた車輪を止めるのは大変難しいことをあらためて感じた…。

話は戻るが、「頓智」に載った第5回目のイベントは1995年10月末日開催だったが地元の北海道文教短期大学(当時)の生活文化学科情報文化コースの学生さんたちとコラボレーションを企画した記念すべきイベントとなったのである。会場は若い女性たちの来場で一般のコンピュータ関連イベントとは些か違った華やかなものとなった…。

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※第5回(1995年10月)開催の「Macintoshの匠たち」で挨拶される紀田順一郎先生(写真右)。壇上は北海道文教短期大学(当時)のS先生


「頓智」には題して「札幌はディズニーランド~女子学生たちのアニメ処女作」として載っている。何故ならその会のイベントではアニメーションなどの知識を持っていない学生たちが私たちの会社の製品「MoviePaint」などを使って制作した作品の発表会を会場で行ったのである。

結局この7年続いたイベントが我々にビジネスチャンスをもたらしたか…については正直心許ない。ただしすでに10年以上も過ぎた今、あらためて振り返って見るなら直接ビジネスとしての利益を得ることはなかったかも知れないが「人的な交流」のチャンスを作り得たことに尽きるような気がする。
事実直接間接を含め、この「Macintoshの匠」たちの開催により現在も交流をさせていただいたいるS先生とお知り合いになれ、地元の短大生2名を新卒者として向かえることになった。そしてその新たに入社したスタッフが次のイベント開催の企画を積み重ねていく過程で様々なことを体験するチャンスも生まれた。

正直自分でもどこか「負け惜しみ的な発想だな」と思う部分があるのは承知の上だが、無理して「Macintoshの匠たち」を続けてきたことは決して会社はもとよりだが私自身にとって単なる想い出ではない「得難い痕跡」を多々残してくれたと信じている。
札幌という地で開催したプライベートイベントはあのMACWORLD Expo/Tokyoとはまったく違った種類の出会いを作り出してくれたのである。
ともかくお陰様でこの「Macintoshの匠たち」というイベントは小さな始まりであったが定着し、毎年秋口になると「今年の予定は?」というお問い合わせをいただくまでになった。
そういえばこれまで当サイトにこの「Macintoshの匠たち」に関する具体的な想い出を載せたことはなかったが、今後は折を見て少しずつアップルジャパンなどとの関係も含めて思い出話を聞いていただこうと思っている。