過日「Felix」というポインティングデバイスをご紹介した折、ポストマウス・デバイスが登場しない旨を書いたが、それはコンシューマ向けの製品を意図した指摘である。無論これまでにもシャボン玉のようにアイデア倒れになった製品は多々存在する…。 

私の右手の腱鞘炎は親指はほぼ完治したものの、様子をみることになっていた中指は残念なことにその後、一時的には良くなった感じもしたが悪くなることはあっても治る方向には向かっていない…。痛いだけでなく箸もまともに持てないのでは日常生活に支障をきたすので、一昨日に親指と同様の治療を受けに病院に出向いた。その結果、掌側の中指の根元付近2カ所に注射を打ったが、これで親指同様楽になってくれると良いのだが…。 

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※中指の治療直後の右手 

さて先日はポストマウスに至る製品が登場しない旨を嘆いたが、数人の方から「このようなデバイスもあります(ありました)」といったメールをいただいた。お一人お一人に返事を書けないので、あらためてここに御礼を申し上げる。 
幸いGUIの研究と共に関連デバイスの情報もその都度追ってきたため、極々専門分野の製品になれば知らないものも多々あるものの、いわゆるコンシューマ製品…特にMacintosh用として紹介された製品に関しては…特に過去の製品に関してはほぼ承知しているつもりである。 
ところで、マウスを発明したあのダグラス・C・エンゲルバートはマウスにだけ拘ったわけではなく、例えば「膝によるコントロール」も考えていた。これはポインタ移動の装置を机の下に取り付け、ユーザーの膝の動きでコントロールするもので、膝を左右ならびに上下に動かすことでカーソルを制御するものだった。テストではマウスよりわずかの差で成績がよかったという。 
この膝による制御は操作から両手が自由なるという最大の利点があったが普及させるには装置が大げさだったに違いない。 
その他にもエンゲルバートは右手にマウス、そして左手はピアノの鍵盤のような5つのキーを持つ「コードキーセット」が有用であると主張した。これは後にアラン・ケイたちにより実現されたSmalltalkならびに暫定ダイナブックのAltoでも使われたがこれまたコードキーセットは熟練するまで時間を必要とすることもあってパーソナルコンピュータのデバイスとしては普及しなかった。 

話をMacintoshに絞ってもその初期にはヘッドセットみたいなものを頭に付け、キーボードから手を離さずにマウスコントロールを可能にする「VCS」という製品が登場したことがある。しかしその後の推移が証明しているように、一般コンシューマ向け製品として大いに売れたという話しは聞かない(笑)。 
これらに関連する事は以前「なぜMouseだったのか? マウスのボタンとシッポの物語」にも書いたので参照していただきたい。 

ともかく現在の優れた技術を屈指するなら、視線移動をカーソルの移動に変換する類のことはできないわけではあるまい。ただしそれらをコンシューマ製品として開発するには別途ビジネス的な計算が働くわけだし、よほどのパラダイムシフトでも起きない限り現状のマウスに取って代わることは考えられないと思う。 
これまたよく論議されたことではあるが、私たちが現在でも”標準”として使っているキーボードのQWERTYキー配列は決して実用的にも理論的にも優れていたから標準になったわけではない。時代の推移において何かが標準になる必要があったからだ。 
具体的には1873年あたりにレミントン社がQWERTYキーボードを使ったデータ入力形式を決定してから急速に普及する。いってみれば作り手側も利用者側も何らかの標準が必要だったのだ。そしてある種の標準化が誕生すると沢山のユーザーに使われるためにと後続製品もその標準化を採用するという繰り返しで、その標準化は不動のものとなってくる。 
現在のマウスもQWERTYキー配列と同様のプロセスにより、パソコンのポインティングデバイスとして誰もが疑うこともなく採用され続けてきたように思える。 

ところで、人間が考えることはある面で同じだと言ってもよいだろう…。キーボードならびにポインティングデバイスは両手で操作されることを意図しているが、その両手による操作に何らかの問題があるなら両足もあるではないか…という発想だ。先のエンゲルバートの膝コントロールもこの発想に違い。 
もともとピアノやオルガンはペダルの操作が不可欠だし、両足も訓練と才能により多くの表現能力を期待できるものらしい。 
あのJ.S.バッハはオルガン演奏の名手であったが、足だけで驚くべき迫力と速度をもった多声的かつ和声的な演奏をやってのけたという。そのバッハをカッセルに招いたヘッセンの侯嗣子フリードリヒは、まるで翼でも生えているかのようにペダルの上を飛び回り、稲妻につづく雷鳴のような轟音を聴き手たちの耳に鳴り響かせるバッハの足の妙義に感嘆するあまり、宝石をちりばめた指輪を抜くと、この強烈な演奏の終わるのを待って、それをこの芸術家に贈ったという(バッハ=魂のエヴァンゲリスト/礒山雅著〜東京書籍刊)。 

バッハは特別だとしても我々にだって普段空いている足が役立つなら使わない手はないと考えても不思議はない。事実1997年のMACWORLD EXPO San Franciscoにおいてフットマウスなる製品がデモンストレーションされていた。しかしその後この製品が一世を風靡した話は聞かない(笑)。 

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※1997年のMACWORLD EXPO San Franciscoにおいて実演されていたフットマウス 

またこの種の製品の話題は昔のものばかりではない。札幌の友人が送ってくれた情報によればMacでも使える
「FOOTIME Foot Mouse」という製品があることを知った。どうやら左右クリック、ダブルクリックからカーソルのスクロールに至るまで、マウスと同じ操作環境を実現しているとのことだ。 
まあ、使っても見ないうちから結論は出せないが、見た感じはあまり使いよいようには思えない(笑)。
考えるに、何が何でも足すべてでオペレーションを行うことを考える必要はないのではないかとも思う。パイプオルガンなどがそうであるように、両手と両足のハーモニーが重要だと思うのだ。だとすればカーソルコントロールはマウスやキーボードで、クリックなどは足で行うといった現実的な製品だったら私も使ってみたいと思うのだが…。しかしポインティングデバイスはGUIのあり方に不可分に関わり合っている。同じ事を書き続けているが、本来ならパソコンのGUI共々再構築してみる必要がある時期に来ているのかも知れない。