AppleのiPadやAmazonのKindleといったガジェットの登場で一時は自然消滅するかに見えた電子ブックという代物がまたまた脚光を浴び始めている。そして中には近々書籍はこうした液晶モニタで見ることが当然となり、それは従来からの紙ベースの本が消えることを意味するといった発言もあるがそれは無茶な物言いであると思う。

 

紙ベースの本がなくなる…というショッキングな物言いは本自体を好んできた1人として憂慮すべきことだがそうした考えはあまりにも早計であると考えざるを得ない。
今後数十年も経った…そう、私などすでにこの世に存在しない未来はどうなってもかまわないが(笑)、紙ベースの本という存在が消えてなくなることはあり得ないだろう。
iPadの登場で漫画も新刊書もそして教科書も電子化され、それが時代の趨勢でありかつすべてにおいて良いことだというニュアンスが強まっているようだが、私には物事はそう簡単ではないと思うのだ。

まずこうした議論のスタートとしてそもそもここでいうところの「本」とはどのような物を意味するのか…という定義がはっきりしていないと話にならない。
確かに一般の方々の身の回りで本といえばまずは漫画本、写真集、雑誌、小説、楽譜、絵本そして各分野の新刊書などなどが思い浮かぶがそもそも「本」という漢字の語源は「規範や本来のもの」をさし、そこから「書写されるもとの書物」「物事の基本」という意味になったといわれるほど我々の「知」に不可分に結びついたアイテムである。

私もすでにiPadでiBoosは勿論、i文庫HDなどを使っている1人としてこれが例えば教育の現場に大量に導入され、自然な形で子供たちの手に渡って活用されれば大いに利点が生まれることには同意できる。しかし繰り返すが「本は今後iPadのようなデジタル化が主流になり一般的になる」はまだしも「紙ベースの本は消滅する」といった話には大きな違和感を持つ。
例えばi文庫HDというアプリケーション上で利用する電子コンテンツはとてつもなく面白いしそのページをめくる様も自然だ。しかし考えてみるまでもなくそのページめくりのギミックだって言ってしまえばアナログの…紙媒体の模倣、シミュレーションに過ぎない。あえて意地悪な言い方をするならシミュレーションはあくまでシミュレーションであり実物・本物ではない。
第一「印刷物をスキャニングして電子ブック」だというのなら少しも面白くもないではないか…。無論資料とかカタログ類といったものの活用には何よりも利便性が求められることもあり有効だと思うが…。

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※自作の資料やカタログ類を参照するにはiPadとi文庫HDは大変便利である。


そもそもが “真っ当な書物” を積極的に読もうとしたことのない人がデジタルになったからといって即他のことを横に置いて読み始めるといったことは考えられないし、もしiPadによる電子ブックが本当に活かされるケースがあるなら、それはすでに本というものを好んで読む習慣を持っている人たちであろう。無論電子ブックを機に書籍に興味を持つ人もいるかも知れないが、本離れが進んでいるという現状で電子ブックなら大いに読む…といったことになるとは思えない…。
ということは電子ブック化は単に紙媒体の本の真似事であっては面白くもなんともなく、こうした機会に本というよりまったく新しいメディアが誕生するといった方が良いのかも知れない。だから本は本として残り得るというのが私の考えであり希望なのだ(笑)。

また決して喧嘩を売るわけではないが、本というものをすべて電子化することが良くかつそれがユーザーのニーズに合致するものだという人たちはそもそも本…書籍というものを良く知らない人たちではないだろうか…。と、本好きのオヤジは考えるのである。
本という代物はリラックスして斜め読みするものばかりではないし時間つぶしのためのものばかりではない。学術書もあるだろうし分野はともかく研究のために不可欠の書籍も多々存在する。そして多くの情報を比較検討したい場合に紙媒体の書籍は机上に広げればよいのだから簡単だ。しかしiPadならどうなるまのだろうか…本の数だけiPadが必要となるのか…(冗談)。
無論作業の方法論は多々あるだろうが電子ブックがすべておいて便利であり、紙媒体の本はすべておいて古いメディアであり駆逐されるだろうという意見には大いに違和感を覚えるのだ。そもそも私には紙ベースの書籍と電子ブックは別物に思える。
勿論電子ブックの長所は明白だ。流通も簡素化されるかも知れないし制作コストも低く抑えられる。旅行先に重くかさばる本を持って出なくても済むし、ましてや動画を含ませるといった紙媒体では到底出来得ない表現の幅が広がることも特筆すべきだろう。しかしそうした利点をずらりと並べたとしても時に一冊の文庫本がiPadによる電子ブックより魅力的な場合もあるのだ。

こうして考えてみるとひとつの重要なことが明確になってくる。
それは「これからの本は電子化がベター」と宣っている人たちのいうところの本とは雑誌やコミックあるいは新書やカタログ類などを主流とする消耗品的コンテンツだということである。
世の中は広いから、毎日届けられる新聞や週刊誌などもすべて保管しているという人もいるだろうが一般的に雑誌やコミックあるいはハウツー物のような新刊書は1度読めばそれで用が足りて後は処分されることがほとんどである。
そうした消耗的書籍類が電子化されて流通し簡便に利用されることに異論を唱えるものではないが、そもそも「蔵書」といったことばがあるほど我々は本そのものを所有し集めることに喜びを覚える生き物でもある。
私もすでにかなりの電子書籍を所有しているものの、それらは確かに検索などを含めた利便性の点で、あるいは場所を取らない点で優れていることを認めるが所有欲もそそらないし購入したところで「蔵書」としての認識も生まれないただの消耗品である。それこそひとたびハードディスクなどの保管メディアにトラブルがあれば一瞬にして失われてしまうし、そうなってもあまり喪失感を覚えることもないように思える。
例えば私はeBookで荒俣宏著「世界大博物図鑑」を持っているが出来ることなら紙ベースの大著そのものを所有したい…手元に置きたいと願っている。
要はTPOにおいて一番適した形のものを自分なりに選択あるいは複合的に利用することこそが賢いユーザーだということになるのだろう。

それにiPadの環境を考えればことは単に電子化、デジタル化の労力といったことだけではない面倒なあれこれもからんでくる。
それは、例えばAppleのiBooksストアでリリースしたいと考えたとしても残念ながら出版側の基準とは相容れないAppleの頑なな検閲が存在することを忘れてはならない。
あからさまな性的表現や暴力的な表現を含む物は許可されず日の目を見ることはないだろう。
どこかの記事で読んだが、Appleではコミックにおいても血の表現は許可されないそうだ。
そしてこの検閲は現在のApp Store上でもたまたま問題視されるように「なぜ拒否されたか」が明快でない場合も多い。
別に私はポルノも暴力表現も良しとしろ…といっているのではないが成人であるなら基本的に選択の自由はあるべきだ。
ともかくAppleに限らずどのような形にせよコンテンツに関して検閲という存在があるとするなら著者側がイニシアティブをとった書籍の電子化販売はできず、場合によっては我々の趣味趣向を阻害し大げさにいうなら一定の方向へ思考を偏らせる危険性をもはらんでいると言いたい。したがって電子書籍の流通も本来ならユーザーは購入先の選択肢がいくつかあった方が望ましい…。

電子ブックの様々な利点あるいはマイナス面について今後も大いに議論しながら良い方向性を見つけたいものだが、本の電子化はCDがiTuens Storeなどのダウロード利用に置き換わったことに準えられることも多いものの、CDと書籍の役割はまったく違うわけで同じに考えてはならないと思う。
ちなみに個人的なことだが、カタログ類の資料をできるだけデジタル化してi文庫HDなどで整理し活用しやすいように工夫してみようとは考え、すでに実行しつつあるのだが…。