iPadのWi-Fi モデルは日本での発売が3月末と発表されているから米国で手に入れられる機会がある方は羨ましいがそれまで待つしかない…。それはともかくこのiPadについて単なる大きなiPod touchだとか旧来のネットブックとの比較で論じている場合があるがそれはあまりに単純な評価だと思う…。

 

Appleの意図は新しい市場を作り出すことだ。それが成功するかしないかはまさしくユーザーの手にゆだねられているようにも思うが、これまで言葉通りに世界を変えたiPod、iPhoneの結果を見ればお分かりだと思う。
ネットブックと比較して外部機器との接続が不十分で拡張性がないとか、カメラが非搭載だとか、あるいは大きすぎる…といった批判まであるもののそうした指摘は相変わらずこれまで他社があれこれと市場投入し成功しなかったものや既成概念から脱却できていないもの言いというしかない。

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スペシャルイベントでiPadを紹介しソファーに座って操作するスティーブ・ジョブズ


Appleという企業は唯一といってよいハードウェアとOSとを開発している会社だ。そして現実にMacBook、iMac、Mac miniそしてMac Proといったユーザーのニーズ…用途に切り分けたパーソナルコンピュータを市場に投入している。そして前記したようにミュージックプレーヤーとしてのiPod、携帯電話を再定義するとしたiPhoneを生み出して成功している企業だ。そのAppleが…例えばすでにiPhone 3Gを使っているユーザーがiPadに買い換えたりという、いわゆる自社製品間での競合製品をあえて投入するわけがない。

確かにそのデザインは大きなiPhoneでありiPod touchに見えるかも知れないがiPadはまったく新しいコンセプトから生み出されたものだという視点が大切なように思う。というより一見iPhoneのような姿やUIは逆にこれまでのユーザーの取り込みには有利に働くものと考える。
例えばiPhoneユーザーならパッケージから取り出したiPadを即マニュアルを見ないでも使えるに違いない。

それからiPadのコンセプト…といえばすぐに「いまさらの電子ブック」と捉えるケースが多いかも知れないし、これまでApp Storeで扱われている14万種ものアプリがそのまま活用できるとはいってもそれはそんなに重要なことではない。
重要な事はiPadだからこそ生きてくるであろう市場がどのようなものなのか、そしてそうした新たな市場に必要なのはどのようなコンテンツなのかということではないだろうか。
私は必ずや「iPod touchより大きな画面でゲームや動画が楽しめる…」という単純な図式ではない「iPad用に開発された新しいコンテンツ」がApp Storeを席巻するに違いないと考えているのだが…。

ところで実物を手にできないとしてもそのデバイスの実感を得たいとiPadの表裏イメージを原寸サイズにプリントして段ボールに貼った、文字通りハリボテのiPadを作ってみた。
無論これだけでは重量的な感覚は得ることができないが、実サイズのiPadでなければ分からないであろうあれこれを知りたいと考えたからに他ならない。そして重量はほぼ同じ重さの書籍を探して手にとっているが、事実このハリボテでもいくつかのことを体現できる…。

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※iPhone 3G (左)と比較してみた実寸大ハリボテiPadの表と裏


まずサイズだが十分に考えられたサイズであることが伺える。
無論用途によるわけだが、可搬性が重要視されるデバイスとしてはベストフィットするサイズではないだろうか。決して大きくもなくそして小さくもないし…前記したようにこれまでiPhoneやiPod touch用として開発されたコンテンツがそのままあるいは縦横2倍に拡大して使えるという互換性もバッチリだ。ただし解像度は違うものの、iPhone 3GをハリボテiPadに重ねてみるとiPadの液晶すなわちスクリーンサイズは単純にiPhoneの縦横2倍ではなくそれより大分大きいことがわかる。
勿論iPadは縦でも横でも使えるわけで書籍を読む、資料を確認する、文書を作成する…といったことを考慮すると最低でもこの程度の液晶サイズは必要となる。そして仮想フルキーを使わせる場合にも液晶が小さすぎては実用にならないだろう。

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※解像度はともかくiPadの液晶表示サイズはiPhoneの4倍より大きい


それに四隅にある黒いフレーム(ベゼル)は単にiMacなどのそれを踏襲したのではなく、このサイズを手に持って操作するにはいわゆる掴むことが必要な場合が多いわけで、この部位がないと直接マルチタッチ画面に触れてしまい誤動作の原因にもなるに違いない。
またこの黒いベゼルはiMac以上に我々のiPad画面を見る視界を現実空間から切り離し、その仮想空間に集中させる効果もあるようだ。

そういえばスペシャルイベントの際、スティーブ・ジョブズはソファに座りiPadを操作していたが果たして実際の使い方としてどのようなシチュエーションが考えられるのだろう…。
一番単純なのは机上などにこのiPadを置いて操作することだ。専用のドッグ付きキーボードの使用はともかくとしてiPadをフラットに置いて使うことは机の高さが適当ならその使用に問題は無いように思えるが、そのままでは背面が緩やかなカーブを持っているため操作によってはグラグラと不安定なケースもありうるかも知れない。したがって机上に安定して置く専用のトレーといった製品でもない限り、やはりiPadはユーザー自身の手にホールドして使うのが前提となるのだろうか。

そして手に抱えたり、膝に乗せたりして使う場合だが、Wi-Fiモデルが680グラムという軽さだとはいうものの、ほぼ同じ重量の書籍を左手のひらだけでホールドし続けてみると長時間の使用には無理がある。

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※iPadを膝に乗せて操作するスティーブ・ジョブズ


勿論両手でホールドすればより安定するわけだが、これでは一部のゲームなどはともかくオペレーションができない。
短時間の使用は別として情報を確認し続けるとか電子ブックを読むといった用途ではやはり膝などを支えとする必要が出てくるように思える。
そうなるとiPhone 3Gの場合は文字通り小型であり手のひらに握ることができるから良いものの、iPad最大の弱点は「落下」というリスクかも知れない…。
iPhone同様に何らかのケースと液晶保護フィルムなどでプロテクトするにしても特に子供達に使わせるには何らかの安全対策が求められる。

ともかくiPadは一般的な使用では1カ所に置きっぱなしにしておくデバイスではない。何らかの形でユーザーが携帯することになるわけだが、ポケットに入るサイズはないから現時的ではそのまま書籍などと一緒にあるいはバッグなどに入れて持ち運ぶことになる。だからこそ、その出し入れの際に落としてしまう危険性は決して少なくないように思えるのだ。
そう、余談ながら昨今電車に乗るとiPhone 3Gを使っている人に会うことが多い。自分の席から目視出来る範囲で回り数人がiPhoneユーザーだという場合もある程だ。しかしiPhoneならまだしも両隣がiPadを取り出して眺めているというのも異様というより邪魔な気がする…(笑)。
何しろiPhone 3GではきついがiPadなら原稿の推敲やゲラの確認は十分出来るし使っている本人は便利で楽しいかも知れないがLEDのそれもiPadのサイズの液晶の照度は隣に接している興味のない人にとって迷惑なことかも知れず、あらためて公共の場でのマナーが問われるかも知れない。

さて結論めくが、私はiPadはiPhone 3Gユーザー、iPodユーザー、無論Macintoshユーザーが買い換えでなく新しい世界を体現したいがために追加購入するデバイスだと認識している。したがってiPhone 3GとiPadを一緒に活用するということは矛盾とか重複することではないのだ。
それにiPadはその形態やコンセプトはともかくまさしくコンピュータであり、ソフトウェアにより様々な用途に使える。しかしその低価格を含めて考察するに、場合によっては特別なアプリケーション用の専用機と考えても無理はないと思うしそうした用途も生まれてくるだろう。

その用途はインフラの整備や別途周辺機器が必要になる場合もあるだろうし、あるいは業界の既得権争いなどの問題ですぐには対応できないケースも考えられるが医療、音楽ならびに芸術、建築、一般事務、家庭における家計簿やレシピ、ビジネス・シミュレーション、教育、プログラミング、情報関連の現場などなどで活躍するだろうし勿論、メールの送受信、Twitterなど他の人とのつながりを重視する用途も益々増えるだろう。
またこうした使い勝手の良さから発したアイデアにより新しいメディアが生まれるかも知れないのだ。

そういえばiPadの登場でいわゆるパーソナルコンピュータという代物は終焉を迎えるという意見もあるが、私はそうは思わない。
言葉の綾ではなく新しい市場に向けて活用されるのがiPadであり、確かに従来のコンピュータに取って代わるデバイスとして認知される部分は大きいに違いないがこれまた繰り返すがiPadは間違いなくコンピュータだ(笑)。
そして遠い将来はともかくiPadで高度な映画の編集や映像作りが効率よくできるとは思わないしそのためには現行のMac Proのようなパワーと拡張性に富んだマシンの存在は不可欠であろう。
そもそもパーソナルコンピュータ不要論といったものが噴出する背景は、電子メールは勿論、Twitterやmixiといった世界中の人たちを含めたつながりとその広がりを求める機運が定着してきたという背景がある。
例えば私がソフトハウスを起業した頃にはパーソナルコンピュータというデバイス自体まだまだ力不足だっただけでなくこのデバイスを本当の意味で活かすのは何なのかという事がメーカー自体もまだ分かっていなかったように思う。
そして一般ユーザーのニーズも掴みきれずメディアの多くは「一家に一台」から「1人1台」とまことしやかに豪語していた。またおかしなことにプロでもない個人ユーザーが高価なDTP、イラストやデザイン、フォトレタッチ、アニメーション、3D、CADなどなどのアプリケーションを使わざるを得ない雰囲気になっていった…。

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※Appleが可搬性を意図した最初の機種Macintosh PortableとハリボテiPad。そういえば解像度は当然違うがMac Portableのモノクロ液晶のサイズは10インチとiPadの9.7インチに近かった…


結局それはパーソナルコンピュータという代物と私たち個人の思いの間に当然ながら深い溝が出来ていくことになった。
「ビデオ編集が簡単にできます」「アニメーションは面白いです」と声高らかに我々メーカーが主張したところで「会社でパソコンに振り回されているのに休日にビデオ編集でもないでしょう…」といった辛辣な声も増えていったのだ。
これは世の中に…というか人の心に余裕というものがなくなったことも大きな要因だと思うが仕事として、プロとしてパーソナルコンピュータを活用することとプライベートの立場でパーソナルコンピュータを眺めることの間に距離が出来たのだ。

その距離を埋めるのがmixiなどのソーシャルネットワークサービスであり、より簡便に他者とのつながりや癒し、仲間意識を生み、生き甲斐を求めることができるとするTwitterが支持される…というより生身の人間、普通の個人が求める大切なことは結局人と人とのつながりだということに気づいたのだろう。
したがってそうした目的に机上を占有する大振りなデスクトップパソコンはおろか、ノートパソコンも不用であり、ことはiPhone程度のデバイスで事足りるということとなる。

とはいえ人の要求には際限がないというし、そうしたサービスをよりスタイリッシュに、そして効率よく楽しみたいとする機運が高まっているわけでiPadはまさしくそうした潜在的ニーズに後押しされて登場したように私には思えるのだ。
だからパーソナルコンピュータは不用というのではなくこれまで市場がユーザーにパソコンを押しつけていたかのような機運が時代にそぐわなくなってきたのであり、今後はますますパソコンとiPadあるいはiPhoneといったデバイスの明確な使い分けが私たちの生活においても重要になってくるに違いない。

ハリボテiPadを両手に持ちながら私の夢は膨らんでいくし、これまでのMacintoshというパーソナルコンピュータ向けアプリケーション開発からでは見えなかった新しいソフトウェア指向が生まれる気がして本物のiPadを手にするときを楽しみにしている。
無論iPadをまだ使う前から完全無欠の理想的製品だと申し上げるつもりはない。ただこれほど未来を感じさせ我々の意欲をわきたたせる製品は残念ながらほとんどない。
まあ具体的な良し悪しは後に論ずることとしても私はいま強く感じているこのワクワク感を大切にしたいと思う。