
漢字検定協会の不祥事やら、一国の総理大臣が簡単な漢字を読み違えるなどなど漢字や日本語にまつわる話題には事欠かないが依然として漢字はいまブームなのだそうだ。しかし日本語の面白さは漢字そのものばかりではない。例えば言葉の語源を探るのもまた面白いものだ。そもそも私たちが日常何気なく使っている言葉自体、その本来の意味や語源を知らないケースがほとんどではないだろうか。
活字中毒者の1人として、手近に読みたい…読むべき本がないときには「辞典」類をながめるというのが日常になっている。そうした中でも最近特に楽しんでいるのが講談社刊「暮らしのことば~新語源辞典」である。
その帯にもあるとおり本書は「ことばの千夜一夜物語」であり、「食べ物・飲み物・花の名・木の名…あらゆるジャンルのことばのルーツを物語り」とあるようにことばの源、由来を知るためのユニークな辞典である。
本書は約960ページ、3500項目を収録する文字通りの辞典だが、決して堅苦しいものではなく新聞やテレビでよく見聞きするカタカナ語も豊富であり、読んで楽しめる辞典である。
コーヒーでも飲みながら、本書の適当なページを開いて思いもかけないことばの千夜一夜物語に引き込まれるのは心地よいものである。それらの中には知っているものもあるが当然のことながら初めて知る世界のなんと魅力的なことか(笑)。
「けりをつける」とは和歌・俳句などが「~けり」という助動詞で終結しているものが多いことから「決着をつける」という意味に使われるようになった…とか、「一人ぼっち」とは仏教語の「ひとりぼうし(独法師)」すなわち宗派・教団に属さない僧侶のことを意味した…とか、「ニコチン」は人名から採られたことなどは知っていたし見聞きした記憶がある。しかし「シルエット」「黄昏(たそがれ)」「折衝」「最中(もなか)」の語源は? と問われてスッと説明できるのは日常日本語に正面から向かい合っている方だろう。
そういえば「最中(もなか)」を子供の頃に「さいちゅう」と読んで笑われたことを思い出す(笑)。
この「もなか」とは本来は「真ん中」の意味で、江戸吉原の菓子店が「真中の月」という満月を形取った菓子を作ったのが始まりだという。
後に真ん中に餡を入れて蓋をした菓子を最中と呼ばれるようになったが、語源からすれば円形以外の形のものは最中ではないわけだ(笑)。
本書を読んでいるとまた間違って使われていることばも多いことに気づかされる。
例えば「袖振り合うも他生の縁」を「…多少の縁」と勘違いしている人はいないだろうか(笑)。無論「少しの…わずかの縁」という意味ではなく「前世からの因縁」を意味することばである。
また「雪駄」はあの千利休が考案したと伝えられている…などなど百科事典さながらの知識も得られて面白い。
それから以前、日本刀の話題の際に日本語のなかには刀の由来からきたことばが多いことを記したが、それ以上に日本語には仏教語が多いことも思い知らされた。
例えば前記した「一人ぼっち」もそうだが「会釈」「刹那」「醍醐」「往生」「億劫(おっくう)」「餓鬼」「覚悟」「我慢」などは皆仏教関連のことばだという。
いわゆる日本語ワードプロセッサらしきものを私が使い始めたのが1982年だから、すでに27年ほどになる計算だ。その間、ワープロだからこそ手書きでは書き得ない10数冊の単行本をはじめ、数え切れないほど雑誌向けの原稿をその時代に合ったワープロで書いてきた。それらはApple II、東芝RUPO、PC-9801、IBM5550、PC-100そしてMacintoshなどだ。そして近年の発明でこれほど便利なものはないであろうと思わせるワープロだがその使用頻度が高くなるにつれ確実に漢字が書けなくなったこともまた事実である。
文字を書くためには毛筆はともかく一般的には鉛筆やボールペンなど筆圧が必要な筆記具を使うため、若い頃の右手にはいわゆる“ペンだこ”なるものが取れない時代もあった。しかし現在ではそのボールペンを手にしても情けないことに往時のように力も入らないし、ちょっとした難しい漢字だとすでに分からなくなっている。
私はワープロの副作用だと認識しているが、それらを多少でも補うためにも本書をパソコンの横に一冊置いておくことをお勧めしたい。