私は墓参りが苦手である。母親の墓参りは父主導のためもあって付き合ってはいるが大親友2人の墓には今だ一度も詣でていない。なぜなら彼らがそこにいるとは思っていないからだ。そんな私が「千の風になって」の歌を偶然ラジオで聴き…息が止まるような衝撃を受けた。 

この詩は詠み人知らずの英文の詩をあの芥川賞作家の新井満氏が訳して曲にしたものだという。 
冒頭の詩…「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」…は私の心の奥底を覗かれたような衝撃を受けた。歩きながら涙が溢れた…。 

残念ながら「墓や葬式は生きている者の慰めのためにある」と、そう言い切れるほど私は強くはないが、これまであえてそう考えることにしてきた。 
どのような場合にせよ、もし浮き世の義理と墓参りが重なったときは生きている者が幸せになれるのはどちらか?を基準に選択してきたつもりだ。当然私が選ぶのは浮き世の催事の方になるが、なぜなら死んだ人はすべてを理解し分かってくれると思うからだ。ま、勝手な解釈ではある(笑)。 

「千の風になって」の歌は続く… 

千の風になって あの大きな空を吹きわたっています 
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 
夜は星になって あなたを見守る 

昔…映画の「ゴースト〜ニューヨークの幻」を観たときと同じような衝撃を受けた。 
しかしこの歌を聴き涙を禁じ得ない私を死んだ母や親友はなお笑うだろう。「いまさらそんな…当たり前のことだよ」と。「あんな暗い墓の中にいつまでもいるわけはないよ」と。そうだよなあ…。 

亡くなった人への供養があるとすれば、それは「思い出すこと」ではないか。私はそう考えている。 
そして一分たりとも欠かせない私の呼吸のひとつひとつに母や親友達のエッセンスが含まれていると思いたい。 
「千の風になって」をお聴きになっていない方は是非一度聴いてみてください!