私はいわゆる芸能界というところ、芸能人という者にどういうわけか興味がない。これは若いときからのことだが熱狂的に好きになった女優もいなければ好んで見る映画のスターもなかった。しかしこの数年様々なシーンで気になる人物がいる。その1人がピートたけし…そう、北野武である。

 

芸能界という所は我々の日常生活とは無縁な…というよりかけ離れた別世界であり、そこに巣くう人たちはまさしく一般庶民とは隔絶した人種であり接点もないというより接点を作ってはいけない世界のように思ってきた。したがってこれまで夢中になった映画スターも特にいなければご贔屓筋の歌手といった人物も特にいなかった。
無論、音楽においてはプレーヤーとしての好きずきはあるがその特定の人物を追いかけたり、あるいは関連記事のスクラップや写真を集めるといった心理にはまったく至らなかった。そもそも彼ら彼女らは映画やテレビの世界だけに住む特別な住人であるかのような感覚で眺めていたようにも思える。

しかしそんな私でもどういうわけか北野武の動向だけは気になって仕方がなかった…。
最初、彼は漫才コンビ「ツービート」の「ピートたけし」としてテレビに登場した。偶然その漫才を初めてテレビで見たときにはただただ「スゲ~」と思った。
まるで機関銃のように次から次へと繰り出される強烈なギャグの連続はその内容を理解するという以前にどこか聞いたこともない音楽のようでもあり心地よかった。しかしその漫才のテーマは例えば老人をコケにするようなものだったりと一般的には好ましくないものがほとんどだったが「ピートたけし」の口から放射されるとなぜか小気味よく、許せる気持ちになったのだから面白い。

次に「ピートたけし」を強く認識せざるを得なくなったのは「おれたちひょうきん族」というTV番組で「タケチャンマン」として登場する彼だった。「ブラックデビル」役の明石家さんまと共に徹底したその馬鹿らしさは無視するには魅力がありすぎたというべきか(笑)。
しかしこの頃から「ピートたけし」に対し、単なるお笑い芸人とはどこか違う…といった印象を持ち始めた。
その後、彼の栄光と挫折…人生の振幅はすさまじかった。
漫才ブームはあったという間に過ぎ去ったものの彼の姿は常にテレビの中心にいてその人気はますます大きくなっていく。しかし、たけし軍団と共にあの出版社を襲撃した事件、バイクの事故で九死に一生を得たが顔面に大きな傷を負ってしまったこと、そして映画監督としての評価は日本ではいまいちだったが海外で華々しい賞を受け高い評価を得たことなどなど、「平成教育委員会」「たけしのTVタックル」などなどといったテレビ番組の中の彼とは違った面を見せる出来事も多々あった。
辛辣な毒舌をまくし立てる、かぶり物で登場し大人げないおふざけをする…といった彼を見ているとひとつの事に気がついた。それはそうしたテレビで見せる、演じている人間像とは裏腹に、人間に対する深い洞察と無類の優しさ、そしてシャイな心根を持つ人間であることを…。そしてなによりも自分自身を常に客観的に見ていることを強く感じた。

その頃から彼に関係する書籍もいろいろと出版されるようになり、そのいくつかを暇つぶしに読んできた。面白いものもあれば編集を含めてつまらないものもあったが北野武という男の本当の姿はそうした本を読めば読むほどフォーカスがぼけ、分からなくなっていくという不可思議な体験をする(笑)。
しかし今般出版された本書 Kitano par Kitano ー北野武による「たけし」ーはそうしたものとは些か違うと感じてAmazonに予約をしておいた。
本書はこれまでのようにいわゆる武が口述したものをまとめたというものでなくフランスの日刊紙「リベラシオン」の日本特派員でジャーナリストのミシェル・テマン氏 (Michel Temman) が2005年春から2009年の春にかけて行った数十回におよぶ気のおけない会話とインタビューから構成されたものでフランスで発刊された著作の日本語翻訳版なのである。

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※ミシェル・テマン著 KITANO par KITANO – 北野武による「たけし」- (早川書房刊)表紙


ところで北野武という人物が何故気になったか、その第一は年齢がほぼ同じであることからくる親しみか…。無論同年配の芸能人は彼だけではないから、それだけでは理由にならない。
私は彼より一歳年下だが戦後の混乱が収まっていない時代に生を受けたこともあり、彼の向く視線がどこに向かうか…血肉を分けた兄弟の行動を見ているようで危なっかしくも楽しみなのかも知れない。
武は足立区梅島に1947年1月18日に4人兄弟の末っ子として生まれた。本書の中で武は当時の足立区を「東京の中でも貧しい地域」と言っているが私の生まれた北区だって同じようなものだ。いまでは当人も忘れて思い出せないほど貧しい時代だった。
その他あらためて本書で北野武の考えていることを読むと、同世代というだけでなく共通項があることにも気がついた。
ピアノを弾くこと、そして絵画が好きなことは知られているがアンディ・ウォーホルやパウル・クレーを好んでいることなどなどだ。
残念なことに私は彼ほど毒舌家ではないし多彩多能でもないが単に同時代を生き、昭和の時代を知る者の代弁者というだけでない共感を持つことができる人物だという感じがますます強くなっていく。

本書 Kitano par Kitano ー北野武による「たけし」ーの特徴は北野武という何十もの人格を持つと思われる不可解な人物の核心にかなり迫ったと思われることだ。それはインタビューアがフランスのジャーナリストだということと無縁ではないだろう。
ご承知のように武にとってフランスという国は彼をもっとも高く評価している国だ。
今年2010年3月には映画監督ならびにコメディアンとしての長年の功績に対し、フランス政府より芸術勲章の最高峰であるコマンドール章を授与されたことは記憶に新しい。インタビューアがそのフランスのジャーナリストということもあるのだろう、武はかなりノーマルな対応をしているように思われる。
本書の帯に「『好きなだけ質問していいよ』最高級のワインを片手に、北野武は言った。」とあるが多くのそして時に辛辣な質問にも素直に対峙している。また日本語版として大変練れた分かりやすい文章は筆者ミシェル・テマン氏と武の間に軍団のメンバーでもあるゾマホンが通訳として存在している理由もあるだろうが、なによりもフランス語版の訳者、松本百合子氏の功績に違いない。

しかし彼の評価は海外でますます高くなっていくものの日本では相変わらずコメディアンという視点でしか評価されていないようにも思える。そのギャップは武自身も十分に感じ、不満に思う以前に楽しんでいるようにも見える。
大げさな物言いをするなら、今後北野武が向かう方向には日本の未来の一端があるような気もして、ますます彼から目を離せない…。

Kitano par Kitano 北野武による「たけし」