これが3Dキャラクタツールの元祖だ〜Poser ver.1.0 を入手

お気に入りのソフトウェアのひとつが3Dキャラクタツール「Poser」だということは度々表明している。その最新バージョンでは写真と見紛うばかりのリアルな人物描写ができるまでになった。しかしこのPoser最初のバージョンを知る人はすでに少なくなった。今般「Poser 日本語版」ver.1.0.1を入手できたので再確認してみた。


私がPoser ver.1.0と出会ったのはサンフランシスコのMacworld Expoだった。そのユニークな仕様に興味を持ちためらわずにパッケージを購入したことを覚えているが、正直そのアプリケーションを十分に楽しんだ記憶はない。
そうした理由からか、現在古い時代の多くのソフトウェアを保存してあり、Poserもバージョン2や3は手元にあるものの、今となっては肝心のバーション1.0を紛失してしまったらしく確認のしようもなかった...。
そんな矢先に先般ヤフーオークションで「Poser日本語版」ver.1.0.1が出品されていたので入札したところ無事に落札することができた。
なお、本製品はFRACTAL DESIGN社がパブリッシャーとなって1995年リリースされたものだが、日本市場ではレトラセットジャパン社から販売された。著作権表示は開発者のLarry Weinberg氏と明記されているがPoserはその後Curious Labs社、e-frontier社と権利が移り、2007年11月にSmmith Micro Software社が権利を買い現在に至っている。

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※FRACTAL DESIGN社から1995年にリリースされたPoser 日本語版(ver.1.0.1)

あらためて1995年リリース当時の「Poser ver.1.0」を眺めてみるとソフトウェアの進化というものの凄さとテクノロジーの進歩に唸らざるを得ない。
そうそう...まずは「Poser ver.1.0」を起動できるマシンを用意するのが正直面倒だった(笑)。
パッケージはフロッピーディスクが3枚組となっている。そしてアプリケーションはPowerMacでも動作するはずなのでまずは手近のシェル型iBook(Mac OS 9)にインストールしてみたがシステムが新しすぎてアプリは起動しない。仕方がないので棚の奥にあるColor Classicを取り出してみたが、こういう時に限ってマシンが起動しないのである...。

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※Poser 日本語版(ver.1.0.1)のアバウト画面

やむを得ず、一番奥にあるMacintosh IIfxとApple純正13インチカラーモニタまで取り出さなければならないはめになった。このMacintosh IIfxには漢字Talk 7.1がインストールしてあるはずなのでソフトウェアの要求に適合するわけだが問題はこれまたマシンが起動するか心配。しかし一発で起動し幸い
「Poser ver.1.0」も問題なく起動できた。

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※今回Poser 日本語版(ver.1.0.1)の起動に使用したMacintosh IIfx

さて、「Poser ver.1.0」の仕様は現在のPoser 7などから想像することができないほどシンプルというよりチープで「これで何をしようとするか?」と思うほどのものだ。
何とか画面上に人間の形状(男性と女性)を置き、ポーズを付けライティングとカメラワークを決めてレンダリングするといったステップにPoserらしさを感じるものの13年の月日とその間のテクノロジーの進化を思わずにはいられない。

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※Poser 日本語版(ver.1.0.1)の基本画面(上)とレンダリング後のイメージ(下)

しかし、もともとこのPoserはその命名のとおり「ポーズを的確に捉えるためのツール」として開発されたものであり、最初から現在のような超リアルなキャラクタやオブジェクトを交えたシーンを創り出すことを考えていたわけではないのである。
「Poser 6」のマニュアル冒頭に開発者のLarry Weinberg氏は、木製のマネキン人形の代わりにとPoserを考え出したと書いている。
Larry Weinberg氏はイラストレーターとなり巨匠たちのような絵を描きたいと思っていたが、複雑なポーズを思い浮かべることができなかったからだという。そしてどのようなアーティストでもすぐに使え、簡単にポーズをとらせることができるような簡単なビジュアライゼーションツールを望んだのが開発のきっかけとなった。

したがって最初のPoserはあくまで正確なポーズを描くために開発されたためであり、まさしく木製ポーズ人形のデジタル版であったわけで、なにしろ人間の姿をきちんと描写することは易しいことではないからこれはこれであたらしいことが好きなユーザーの心を捉えたことは間違いない。
とはいえキャラクタには髪の毛もなければ衣装を付けることもサポートされていなかった。勿論アニメーション機能などは思いもよらなかった。
そもそも3Dキャラクタを作るというより人体の簡易モデリングツールであったことが伺える。
パッケージの記されているコンセプトの中に「...手描き風の作品のための下絵として...」と紹介されていることでも当時このソフトウェアに求められたあれこれが想像できるだろう。
無論テクスチャマップを工夫してレンダリングし、それをPhotoshopで写真に合成してレタッチの上で髪や服装を描けば遠景でうごめく多くの人間たちを表現することくらいはできたわけだ。

私自身、アップデートする度にPoserを手に入れてきたものの本格的に使う気になったのはPoser 6になってからだ。しかしその後Poser自身は最新版のPoser 7に至るまで目立つほど大きな変化はしていない。逆にキャラクタ側のオブジェクト自身、アニメーションへの利用を含んでかその筋肉の動きがより自然になったり、髙精細なテクスチャのおかげもあって写真のような表現力を持つまでになった。
Poserが今後、よりよい形で生き残り進化を続けていくとすれば、そのヒントの一旦はバージョン1.0から現在までの移り変わりに隠されているように思う。そして今後は何よりもユーザーのニーズを的確に捉えバージョンアップが続けられることを期待したいが、さて次のバージョンがあるにしても日本語化の問題はどうなるのか...をはじめ、コンセプトの方向性などなど一抹の不安が拭えない。

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1984年に作ったApple II用のプログラムリストが見つかった!

自分の過去を振り返るのは些か躊躇する部分もあるが、この歳になると若い頃のパワーが懐かしくなることは事実である。先日古い資料群を整理していたら、24年前にApple II用として作ったアダルトゲームのプログラムリストが出てきて我ながら思わず見入ってしまった...。
オールドな話しだが今回はMacではなくApple IIの思い出である。


私自身は最新のMacintoshプログラミング事情を認識しているつもりだがそれはあくまで知識としてであり、自身で現在の高度なプログラミングができるわけではない。
とはいっても私がマイコンとかパソコンを始めた時期はBASIC全盛期であり、ある意味BASICを知らずしてパソコンを語るなかれ...といった風潮まであったから、一時は人並み以上にそのプログラミングに没頭した時期もあった。
後年何が因果か自身がソフトウェア開発会社を起業することになったが、そのとき「プログラマでもないのによくソフトハウスの社長などやってられますね」といった意味のことを何回も言われたことがあった(笑)。

その云わんと言うことはよくわかる。プログラミングができないということはソフトウェアに関して無知であり、ましてやソフトハウスの社長として新製品開発やその商品化に支障があるのではないか...と思われたらしい。
無論世の中には社長自らプログラマだという会社もあるし、大きな組織になればまったくその必要性を問われない企業もありさまざまだ。しかし起業した1989年当時はそんなことを云われる時代だったのである。
ともあれ私は社長としての役割を綺麗なことばでいうなら、会社が生み出すソフトウェアの企画ならびにプロデュースとそれを広め販売するための営業や演出にあると考えていたからそうした声も正直気にならなかった。
というより意地悪な私はそうした見られ方を逆手にとって相手と交渉をすることもあった。
時に私はプログラミングなどこれっぽっちも知らない振りをして商談相手であるプログラマの開発能力を測ったり、相手に話したいだけ話させたその後にギャフンと云わせたりして楽しんだこともあった(笑)。
したがって例えばC言語によるソースコードは書けないとしてもプログラムとはどういうものなのか、プログラムに何が重要でポイントはどこにあるかは熟知していたからまったく困ったことはなかった。
それに会社にはMacのプログラミングに関して最高の人材がいたし、必要ならいつでも知りたいことを問うことができた。彼らはプログラマではない私に平たく分かりやすい解説をしてくれたから私自身ソフトウェア開発のためにプログラミングの必要性を考えたことはなかった。

とはいえ1980年代にBASICに夢中になったことは大変役に立った。開発言語やそのレベルは違うものの多くのソフトウェア開発ビジネスにその時の基本知識は血となり肉となったのである。
そのBASICに対する情熱の頂点が当サイトでも話題に出したことがあるが1984年にアスキー社「LOGIN誌」主催の「アダルトソフトウェアコンテスト」に応募した時だった。

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※アスキー月刊LOGINの1984年10月号表紙。「アダルトソフトウェアコンテスト グランプリ発表」が載っている

応募するからには納得いく内容でなければならないし、ましてや選に入ることを目標にするならインパクトの強いものでなければならならないと作品名には「Sexy Gals Game - OSAWARI」という些か下品な命名も考えた(笑)。
そうした作戦が功をそうしたのか、結果として約4ヶ月ほどかけて開発し応募したApple II用のアダルトゲームは入選を果たし賞金5万円を得た。
しかしその賞金より嬉しかったのは自分の頭の中にあることを少しずつでも機能としてソフトウェアに実装していくことができたその醍醐味だった。ひとつの壁を突破するのに数日悩み続けることも多々あったが、文字通り何かの瞬間に解決方法が閃くという一種不思議な体験は得難いものだったし、本職のプログラマの業を垣間見た思いがしたものだ。
やはり締め切りがない単なる趣味の世界に閉じた状況ならあれほどの力は出なかったように思う。
その後、5インチのフロッピーディスクを媒体に簡単なコピープロテクション処理やパッケージまでを自分で作ったこのゲームは当時アップル製品の総本山であったESD社のショップで販売されることになった。そして国産のApple II用ゲームとしては珍しいことだったが、あっという間に限定100本が売れてしまったのである(笑)。

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※当時「アップルマガジン」に掲載の広告。一部自主規制している(笑)

その後すっかり処分してしまったものと思っていたそのゲームのソースリストが先日雑誌に挟まれた形で見つかったのである。
おそらくEPSONのドックマトリックス・プリンタでプリントアウトしたものだろうが、連続用紙の左右にパーフォーレーションが付いたままの懐かしい姿で出てきた。

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※今回見つかった「OSAWARI」のプログラムリスト(上)とその一部(下)。この程度の長さだとREM文がなくても理解できたらしい...

空気に触れていなかったからか、用紙の黄ばみも少なく、サインペンなどでの書き込みも滲んでないため1年前にプリントアウトした...といっても通用する姿だったが、どうやらこれはフィックスした最終バージョンではないようだ...。
すでにApple IIのBASICコマンドやマシン語ルーチンの詳細は忘れてしまったが、冒頭の“POKE 1010,102: POKE 1011,213” などを眺めていると当時熱くなっていた時のことを思い出す。
それにしても近所にあった古本屋で著作権が切れた古いヌード写真集を買ってきてはプログラミングに疲れるとApple IIのビデオデジタイザで画像入力していたものだが、そのとき女房には随分と呆れられていた...(笑)。

ところでMacのアダルトゲームとしては
「Mac Playmate」(1986年)が先駆者として知られている。
Toy Boxから大人のオモチャを選び、それを女性に向けて操作するとリアルな声を出す...といったものだったが、そのインタラクティブな作りおよび人に覗かれそうになったとき、画面表示を表計算風に変えるパニックボタンは大変話題になったものだ。しかしジョイステックやパドルで掌を動かし、ビデオデジタイザによる女性の映像(裸)に触れると声を出したり(モッキンボードというスピーチシンセサイザをサポートしていた)音楽が流れるといったことをその2年も前にApple IIで実現させたことは私のパソコン人生にとって誇っても良い出来事だと自負している(笑)。
後にあるMac月刊誌の編集長は「OSAWARI」を「映像とサウンド、そして音声などを十分に活用したGUIとそのインタラクティブな操作性を考えると、これこそ最初のマルチメディア作品だ」と評してくださった。
その後ニンテンドーDS用アドベンチャーゲームに「おさわり探偵 小沢里奈」(2006年)などという製品が登場したときにはその命名に笑ったものだが、人の考えることはいつの世もそんなに変わらないということをあらためて実感したものだ。

もし私にiPhone向けプログラミング開発能力があったなら、この「OSAWARI」のiPhone版を開発してみたいと思うのだが...(爆)。しかしApp Storeでは扱ってくれないだろうなあ...。

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Photoshopの知られざるもうひとつの顔

昨年(2007年)10月25日、アドビシステムズはCS3でversion 10となったPhotoshopと25周年を迎えるAdobe Systemsの歴史を披露するスペシャルセッションを行った。しかしPhotoshopには一般にはほとんど知られていない歴史のひとこまもあるのだ...。


Photoshopは兄のトーマス・ノール氏とジョン・ノール氏によって開発され世に問われた。それは一般的に1990年ということになっている。実際
Photoshop 1.0はAdobe Systems Incorporated.から同年にリリースされている。
すでに大成功を収めたPhotoshopに関しては多くの情報がもたらされているし、アドビのサイトにもPhotoshopの遍歴情報が掲載されている。例えば開発者であるトーマス・ノール氏とPhotoshopエバンジェリストのラッセル・ブラウン氏がPhotoshopの歴史を振り返る「History of Photoshop」の映像も
ここから見ることが出来る。

Photoshopは当初 ”フォトレタッチ” というキーワードを持って登場した。いわゆるペイントツールではなく写真を修正・合成するためのアプリケーションだった。なぜならそれまでアナログ(銀塩)写真に対しての編集や加工は高価なシステムと専任のオペレータを必要とした作業だったが、パーソナルコンピュータとコンシューマ用のイメージスキャナなどのいわゆるインフラが整ってきたことでデジタル画像の扱いが手軽にできるようになり、Photoshopの存在が知られるようになった。
前記「History of Photoshop」の中でも「Photoshopの歴史は1989年にさかのぼります」と明言されている。それはPhotoshopの原型をノール兄弟がAdobe社でデモをし、売り込みに成功した年代に違いない。
繰り返すがPhotoshopの原型はトーマス・ノール氏が開発したものだが、弟のジョン・ノール氏はそれを見て「これは売れるかも知れない」と気づいたという。弟のアドバイスにより機能強化されたソフトはジョン・ノール氏の手により当時カリフォルニアにある多くの企業でデモをし続けたという。
無論採用を断られたり、購入を決めてくれた企業が倒産したりとさまざまなことがあった後にAdobeとの間でライセンス契約を取り交わすことに成功する。そして1990年にPhotoshopというプロダクト名で最初のバージョン1.0がリリースされたわけだ。

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1990年に登場したPhotoshop 1.0

まあ、Photoshopの愛好家はもとより、デザインツールとして日常活用しているプロフェッショナルにしてもPhotoshopの歴史など知らなくても何の問題もないが、よい意味で歴史を掘り起こしプロダクトの変遷を知るのが私の仕事でもあり趣味でもあるから、前記したような通り一遍の解説では納得がいかない(笑)。
Adobeがオフィシャルに語るPhotoshopの歴史は無論Adobeにとっての歴史であり、それ以前にどのような変遷があったのかについてAdobe側は興味ないだろう。したがってトーマス・ノール氏とかAdobeのスタッフでもあるラッセル・プラウン氏の口からAdobe以前の情報が語られないのも当然である。
私は当サイト「黎明期の逸品ソフトウェアたち」のPhotoshopの項最後に「Photoshopは突如として登場したものではなく過去から受け継いだ多くのノウハウを吸収・咀嚼してここまで完成度を高めてきたということだけは忘れてはならないと思う。」と簡単に閉めているが、実はPhotoshopという名称になる前、ほとんど同じ製品を他社が扱っていた事実があるのだ...。

さて、2006年のことになるがデザイナーであり多摩美術大学の講師でもある杉山久仁彦さんと知り合った際に私がソフトウェアの歴史やインターフェースを研究していることを知って彼が大変珍しいソフトウェアパッケージを送ってくださった。それがBarneyscan Corporationの「CIS XP with QuickScan」という大ぶりのパッケージだった。中には分厚いマニュアル2冊と3.5インチフロッピーディスクが2枚入っていた。

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※Barneyscan Corporationの「CIS XP with QuickScan」パッケージ(上)とマニュアルおよびフロッピーディスク(下)

この製品は当時の最速機種 Macintosh IIに35mmフィルムスキャナである「CIS・3510 Professional 35mm Scanning System」や4×5までをサポートする「CIS・4520 Multiformat Production Scanning System」を接続するという文字通りのプロフェッショナル用、業務向けシステムなのである。当時はMacintosh IIも高価だったが、この種のフィルムスキャナは数千ドルから数万ドルもしたはずだ。だから個人が使いたいからといっても簡単に入手できるものではなかった。

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※「CIS XP with QuickScan」パッケージに記されているMacintosh IIとの機器構成図

実はこのパッケージにはこうしたスキャナから画像をMacintosh IIなどにスキャニングするためのスキャニングソフト「QuickScan」と、取り込んだイメージを編集・加工するための「CIS・XP image editor」とがセットになっていたが、ここで興味深いのは「CIS・XP image editor」である。
「CIS・XP image editor」はその名の通りイメージ編集ソフトウェアであり、名前は違っているものの細部はともかく見かけはPhotoshop 1.0とほとんど同じなのである。

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※「CIS・XP image editor」のマニュアルによるツールパレット解説。前記Photoshop 1.0とまったく同一である

本来なら本ソフトウェアを起動させてその詳細をご報告したいところだが、ハードウェアの接続を図らないとソフトウェアが起動しないようなのだ。ただし杉山久仁彦さんのご記憶では単体での起動ができたはず...とのお話しもあったので何か秘密があるのかも知れない...。32-Bit QuickDrawをインストールすればモノクロシステムのMacintosh SEでも動作するとマニュアルには書いてあるが、その他Color Classicなどでの検証では今のところ起動しないのである...。
ともかく本製品はマニュアルやフロッピーディスク上のコピーライト表記などを確認する範囲ではPhotoshopのリリース年と同じ年に発売されたもののようだ。
当時、開発者のトーマス・ノール氏たちとAdobeがどのようなライセンス契約に至ったかは知る由もないが、フロッピーラベルの記述を見る限り微妙な時期であったことは想像できる。
なぜならそこには、「©1988, 1989, 1990 Barneyscan Corporation.」に続き「©1989, 1990 Adobe Systems Incorporated.」とあり、さらに「©1988 Knoll Software」とあるからだ。

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※「CIS・XP image editor」のフロッピーラベル折り返し部コピーライト表記

前記したようにノール兄弟は開発したソフトウェアを多方面に売り込んでいたが、Adobeとのライセンス契約締結に至る前にBarneyscan Corporationとも接触があり何らかの約束事があったのだろうか。あるいは、現在のAdobeからは考えられない方策だが、Adobeとの契約後に業務用に限ってはBarneyscan Corporationにライセンスを供与したのだろうか...。
興味深いのは正式な法人であったかはともかく、Knoll Softwareという名も連なっていることだ。この時点ではすべての権利がAdobeに渡っていなかったのかも知れない。ただしマニュアルのコピーライトはこうしたフロッピーラベルの記述とは違う。そこには「Copyright © 1990 Barneyscan Corporation. Portions of this manual were provided courtesy of Adobe Systems Incorporated © 1989. All rights reserved.」とあり、本マニュアルの一部が1989年当時のアドビシステムズ社の好意により提供されたという記述がある。しかしそこにはノール兄弟やKnoll Softwareという名はない。

何れにしてもPhotoshopがAdobe Photoshopとして大成功するまでには一般に知られていないさまざまな曰く因縁もあったことを知っておきたい。なお手元にある「CIS・XP image editor」をうまく起動できたら、Photoshop1.0ときちんと比較の上でまたレポートしたいと考えている。

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1985年のスーパーボウルで配布されたAppleシートクッション

いま私の手元に大きな6色アップルロゴがプリントされたクッションがある。クッションとしては安っぽい代物だが、これこそ1985年1月20日のスーパーボウル開催にあたり、Appleが広告宣伝を目的としてスタンフォードスタジアムすべての観客席に置いた伝説のクッションなのである。


スーパーボウルと聞いて1984年のAppleコマーシャルを思い出すことのできる人はアップル通に違いない。
1984年1月22日にタンパスタジアムでAppleはあの”1984”を放映して大絶賛された。この時の60秒のコマーシャルは全米9,600万人の視聴者に向けられたもので、いまでもAppleの最高傑作のCMとして様々な場で紹介されているあのコマーシャルである。



このコマーシャルについてはすでに伝説化され、事実とはいささか違った受け取られ方をしているようだが、その製作のいきさつについてはオーウェン・W・リンツメイヤー+林信行著「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」(アスペクト刊)の上巻に詳しいので興味のある方は参考にされたい。ともかくこのコマーシャルは大成功を収め、多くの賞を受賞しただけでなくAppleとMacintoshという名を知らしめるためにその役割を期待以上に果たしたのである。

翌年これに気をよくしたAppleはMacintosh Officeのキャンペーンにあたり、前作同様にリドリー・スコット監督を起用すべく働いたがスケジュールの都合が付かずに兄弟のトニー・スコットに製作を依頼してできあがったのが「レミングス」というコマーシャルだった。Appleは昨年同様膨大な広告費をかけ、スタンフォードスタジアムに巨大スクリーンを設置しただけでなく、座り心地が悪いことで知られていた85,500もの座席すべてにAppleロゴをプリントしたシートクッションを配置した。



勿論試合の当日スティーブ・ジョブズとジョン・スカリーは最前列で観戦したが、Appleの期待に反してコマーシャルは不評でありキャンペーンは失敗と評価された。確かに「レミングス」は暗い印象ばかりが目立つもので、「1984」のように未来に対して期待を持たせるあるいは開放感という印象は薄いものだった。

実はいま私の手元にあるこのシートクッションは、その1985年1月20日にスタンフォードスタジアムで配られた内の一枚なのである。さすがに些か変色や一部にはシミも見られるが、まだまだ綺麗である。

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クッションカバー材質はポリエステル製で中のクッションはポリウレタンだが共に不燃処理されているようだ。サイズは330mm×330mmで厚さは約40mmある。それ自体は大したものではないが、問題は片面に大きな6色のAppleロゴがプリントされており、もう片面には「Super Bowl XIX/Stanford Stadium・Stanford, California・January 20, 1985」の記載と「1984 NFL」というCopyrightがプリントされている。またAppleロゴの面には「27」とナンバーが記されているシールが付いているが、これがシートナンバーなのだろう。
そしてシートに固定するために約60cmのマジックテープ付きストラップとロゴ正面から見て上部には取っ手がついている。

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23年前のスーパーボウル開幕にあたり、スタンフォードスタジアムの”27”番シートに座ったのはさてどのような人なのだろうか。無論現在までこのクッションが無傷で残っていたのはそこにAppleロゴが配されていたからに他ならない。他の企業のものなら申し上げるまでもなく当日に廃棄されたことに違いない。
私はフットボールに関心がないため、1985年にどのような試合があったかはまったく知らないでいた。しかしちょっと調べてみると1985年1月20日の試合は第19回のスーパーボウルでSan Francisco 49ersがMiami Dolphinsを38対16で破っている。そしてABC放送により試合はテレビ中継されたということがわかった。
なお、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」によれば、スーパーボウルのチケットはほとんど入手困難であり、経済効果も莫大なだけに毎年チケット取得をめぐって様々な話題を提供しているようだが、テレビ中継されるそのコマーシャル枠の価格は世界で最も高価で、大手企業が大金を惜しみなくつぎ込むことでも知られているようだ。そしてその契機になったのはあのAppleの”1984”だっというから愉快ではないか。

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4倍速 USBフロッピーディスクを検証する

我ながらアナクロニズムなレポートだと思うが、オールドMacから手軽にファイルをMac Proなどに移すためにフロッピーを使うことがある。今回事情があって今更ながらUSB 4倍速フロッピーディスクドライブを手に入れたので本当に速いのかを確認してみた。


Macintoshからフロッピードライブがサポートされなくなったのはあの初代iMacからだ。それはAppleの英断だったと評価されているが当時は不便だったことも事実である。その賛否はともかく、いまでもオールドMacを使う当研究所ではこのフロッピーのお世話にならざるを得ないことが多々あり得るのだ。
一番の問題はオールドMac上で作成したファイルを最新のMac Proなどに持ってくる場合だ。ご承知のようにiMac以前のマシンにはUSBインターフェイスは無いしハードディスクはSCSI接続だったから、ファイルの移動は特別なLANでも組まない限りフロッピーに頼らざるを得ない...というか一番簡便な方法である。したがって例えばMacintosh PlusとかColor Classicといったマシンでキャプチャした画面ハードコピーをMac Proに移動する場合にはフロッピーに保存し、それをMac Proに接続したUSB仕様のフロッピーディスクドライブで読み込むのが手っ取り早いのだ。

ところでこれまで使ってきたUSBフロッピーディスクドライブはVST Technologies社製のUSB Tri-Media Readerという製品だ。いつ頃購入したものかはすでに忘却の彼方だが、随分と前であったことは確かだと思う。

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すでに6, 7年は使ってきたと思われるVST Technologies社製のUSB Tri-Media Reader

今般事情があって別途フロッピーディスクドライブを購入することにしたが、店頭でMacintoshでも使える物をと探したところ、いまだに数機種あるのには驚いた。まだまだ活用されるユーザーはいるようだ。
それはともかく、私が選んだ製品はロジテック社の4倍速USB 「LFD-31U4」という製品である。USB 2.0をサポートし、USBバスパワーで動作するだけでなくキープロテクトフロッピーディスクに対応しており、例えばモリサワやフォントワークスのフォントキーディスクを使用することもできるという。

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ロジテック社の4倍速USB 「LFD-31U4」パッケージ(上)とそのドライブ(下)

製品の特徴としては勿論4倍速が売りになっている。パッケージなどの説明によれば「フロッピーディスクの回転速度を4倍にすることにより、リード/ライトの動作時間を半減し、ストレスを感じることなくデータ転送可能です」とある。回転速度を4倍にしたから4倍速になったとはいかにも安易だが(笑)、互換性なども含めてことはそんなに簡単ではないからこその売りなのだろう...。
ともかく疑るわけではないが、どれほど速いのかをこれまで使ってきたTri-Media Readerと比べてみることにした。ただし条件がいろいろと違っているのでそれらをあらかじめ承知しておかなければならない。
まずTri-Media ReaderはUSB 1.0しかサポートしていないが、LFD-31U4は新しいだけにUSB 2.0をサポートしている。
ちなみにテストはフロッピーディスクのマウント、データの書き込み、そしてフロッピーに記録してあるデータを何らかのアプリで読み込んで表示するまでをストップウォッチで計測することにした。

もう少し詳しく申し上げるなら、フロッピーのマウントテストは予めフォーマット済み1.44MB仕様のフロッピーディスクをMac ProフロントのUSBポート(USB 2.0)に装着し、フロッピーアイコンがデスクトップ上に表示するまでを計測した。また書き込みは152KBのJPEGファイルをフロッピーに書き込むまでの時間を計った。
ただし読み込み表示はMac Proだと早すぎて手動で計るストップウォッチではほとんど差が出なかったため、Mac OS 9をインストールしてあるクラムシェル型iBookを使ってみた。具体的にはSimpleTextのQuickTime変換機能を使って前記した152KBのJPEGデータをアプリ起動を含めて表示するまでのタイムを計ったものだ。
テスト値は各項目を3回やった平均値だが、ストップウォッチを手で操作するわけで誤差も大きく厳密な意味では正確なものではないことはご承知いただきたい。

さてテストの結果を見ると、確かに私の環境...すなわちMac Pro 8コアで使う限り、新機種のLFD-31U4は旧製品Tri-Media Readerと比べてマウントや書き込みは倍ほどの差が出ていることは確かだ。ただしこの差はUSB 1.0と2.0の差でもあると思うのでLFD-31U4の4倍速効果がどれほど生きているのかがよく分からない...。

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※LFD-31U4とTri-Media Readerの比較例

そこで前記したクラムシェル型iBookで同じくマウントと書き込みの速度を計測してみた。勿論本機に搭載されているUSBは 1.0である。
面白いことに...その結果フロッピーディスクのマウント速度は総じてMac OS 9環境の方がMac OS Xより速いのである。またその場合、現行品のLFD-31U4と旧製品Tri-Media Readerの差もほとんどない。

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前記の比較をMac OS 9上で実施した例

こうした結果をどう見るかだが、あくまで私の環境下...Macintoshによるテストでは4倍速そのままの結果にはならなかった。ただしご覧のようにMac OS 9による書き込みテストではLFD-31U4はTri-Media Readerの3倍ほど速かったことは確かだし、そもそもTri-Media Readerのスペックが1倍速と考えて良いのかも不明なのできちんとした比較はできなかった。
ともかくUSBのフロッピーディスクドライブがMac OS X環境下でも勿論Mac OS 9.x でもバスパワーで使えるのは今更ではあるがありがたい。なおロジテック製の当該製品である4倍速USB 「LFD-31U4」はMacintoshで使う場合、Mac OS 8.6以上をサポートしている。
そして重要なことだが本製品は1.44MB、1.25MB、720KBの3モードに対応しているものの、Mac OS X環境では1.44MBフォーマットのフロッピーディスクしか扱えない。したがって前記したようにオールドMacからのデータ移動を考える場合は途中で何らかフロッピー仕様が適当なマシンを介して一旦1.44MBのメディアに移す必要がある。面倒といえば面倒だが、さすがに使用頻度は高くないので仕方がないと考えている。

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Appleが人間工学を考慮した製品〜Apple Adjustable Keyboard考

アップル製品はデザインの素晴らしさで定評がある。それは間違いないが、そのデザインは真の意味で使いやすさを追求するものであるかはまた別の問題である。しかし1992年に発表されたApple Adjustable Keyboardは間違いなく本当の意味で使いやすさを追求した製品のひとつだった。


パソコンのキーボード作りは難しいと同時にあまり面白みがないのではないか...。誰もが真に使いやすいとは思っていないQWERTY配列、どれもこれもキートップを同じように並べただけのような製品に新しいアイデアなど考えつかないのか面白くもない製品がほとんどだ(笑)。しかもパソコンを使うことは必然的にキーボードと向かい合うことであり、キーボードを無視して事実上パソコンを操作することはできないわけで、キーボードとはとても重要な周辺機器である。それなのにキーボードはいわばメーカーから与えられたものを使うしかない...というか、そうしたことに疑問すらわかないユーザーも多いのが現実だろう。
Appleは最近もアルミニウムをベースにした新しい2種類のキーボードを製品化したが、それは雑然として製品になりがちな他社製キーボードとは比較にならないシンプルかつクールなデザインである点はAppleの真骨頂であろう。とはいえこの最新型が旧来のキーボードより格段に優れ、使い勝手にもめざましい進化が見られるわけではないところにキーボードという製品の難しいところがある。

Appleは1984年にリリースした最初のMacintosh 128Kでそれまでのパソコンとは違ったアプローチをした。GUIもそのうちの大きな要因だったしワンボタンマウスも3.5インチフロッピーディスクもそうだった。それらに一貫していたことはメーカーとしてユーザーインターフェイスをきちんと認識していたことだと思う。単純に機器をカバーするためのデザイン設計ではなく最初にデザインありき、使い勝手の良さを追求したコンセプトがうかがえる製品だった。

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Apple Adjustable Keyboardフルセット(ケーブル類はつなげていない)

話をキーボードに絞れば、Apple IIから最新のMacBook Airに至るまで数多くのキーボードがAppleから提供されたが、キーボード製品そのもので忘れられないものがあるとすれば1992年5月に発表された「Apple Adjustable Keyboard」ただ一つだといってもよいかも知れない。あえてもう一つ上げるとすれば、拡張キーボードがあるが、これとてその名の通り往時のキーボードを拡張した製品であり、単体で目新しい特徴を持っていたわけではない。そして後のキーボードは当時のマシン本体に合わせて無難なものでしかなく、Performaの一時期などは見るからにコストダウン第一で製造したような粗悪なキーボードも存在した。
そうしてAppleの歴史、キーボードの変遷をあらためて眺めてみればやはりApple Adjustable Keyboardの存在は歴然と輝いてくるし、これを抜きにパソコンのキーボードを語ることはできないと思う。

さて、ではApple Adjustable Keyboardとはどのような製品だったのだろうか。
ひと言でいってしまえばその名の通り「調節可能なキーボード」ということになる。調節とは使い手に都合の良いように変えることが出来るという意味だが、事実我々の手は大きさも指の長さも太さも人それぞれで違う。特に長時間の使用にも疲れを感じさせず、何よりも使い勝手の良いものでなければならないはずだがそんな多種多様なニーズにひとつのキーボードで対応できるわけはない。
ともあれ、両手をキーボードの上に置いてみれば分かるが、両腕はキーボードのホームポジション位置に寄せられて手の甲はハの字形に置かれるのが普通だ。それらを考慮すればキーボードもそうした我々人間の制約に合わせて形状を作ればよいかというと、これがなかなか難しい。ハの字形の角度だって人それぞれで違うだろうし、キーボードの何処を中心にしてハの字形に分割したらよいのか...。第一スペースキーはどうしたらよいか。スペースキーも左右にそれぞれ用意するべきなのか...。そうした複雑な要求に対しひとつの理想型がApple Adjustable Keyboardだといえる。

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Apple Adjustable Keyboardのフルキー(上)とテンキー(下)の拡大

Apple Adjustable Keyboardはフルキー部分とテンキーに別れている設計である。テンキーが不要なら使わなくてもよいしこの分離型はキーボード設計のひとつの回答でもある。ただしApple Adjustable Keyboardのテンキーは単純なテンキーではなくカーソルキーやファンクションキーが付属している。そしてフルキーの方は大きめなスペースキーを中央に取り残す形で最上段の数字キーの「5」と「6」の間から上部に角度を付けて左右2つに分離するようになっている。したがって左右に分離させる際の角度は自身の手の置き方に合わせれば理想に近いポジションを得ることが出来ることになる。またフルキーならびにテンキー両方に取り外し可能な専用パームレストが付いている。

キーボードに限らず我々は慣れという代物に判断を曇らせてしまう場合があるが、いまそのキーに指を触れてみるとキーストロークも良くそのインターフェイスがADBでなくUSBならいまでも使ってみたいと思わせるに十分な代物だ。
当時、もしこのキーボードがすべてのマックに同梱されていたなら、Apple製品のキーボード評価はもっと高く、多くのユーザーの記憶に留まっただろう。しかしコストの問題もあり実際にはオプションという形で販売したために実物をご覧になった方は意外と少ないのではないか。

手元にあるApple Adjustable Keyboardは経年変化でボディ部位が変色しているが全体のコンデションは悪くない。またそのパッケージはAppleのプロダクトとしては地味なものだが、蓋を開けてみると一部がアップルロゴの形にくり抜かれているなどAppleの拘りを感じさせる。

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Apple Adjustable Keyboardパッケージ(上)と緩衝材にもアップルロゴが抜かれている(下)

そんなApple Adjustable Keyboardだが、ひとつ大きな欠点がある。
それはパームレストを含めたフルセットを机上に置くにはかなりのスペースを必要とすることだ。もしかしたらこのApple Adjustable Keyboardが日本で今ひとつ売れなかったのはコストの問題と共に設置サイズの問題があったのかも知れない。

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Newton MessagePadの思い出

久しぶりにNewton MessagePadを触ってみた...。iPod touchをはじめて手にしたとき、どうしてもNewtonの手触りが思い出されて仕方がなかった。今回はそのNewton MessagePadの思い出話である。


Newton MessagePadはビジネス的には失敗だと評価されている。しかし当時は大きな期待と共に大歓迎されたことは確かだった。当時は一連のMacintosh製品群がマンネリ化していたこともあり、再び1984年にMacintoshが登場した時のようにAppleに注目が集まっていた。

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久しぶりのNewton MessagePad H1000に電源を入れてみた

Newtonの登場は我々デベロッパーにも大いなるビジネスチャンスがあると期待されていた。現在のiPhoneやiPod touch向けSDKのようにMacintoshを使ってソフトウェア開発できるというNewton用の開発キットも有料で販売され、私の会社でも当然のことのようにそれらのシステムを手に入れ基本的なテクノロジーなどを調べ始めた。
個人的にもNewton MessagePadを購入したが、周知のように日本語環境はなく英語の手書き認識の精度もお世辞にも良いとは言えなかった。
無論見るべき部分も多かった。筐体がPDAとしては大きいという批判もあったが反面コンピュータを掌に乗せたという功績は評価されたし、随所にAppleらしい魅力が存在した。ラフに手書き入力してもきちんとラインにテキストが収まったり、書いた部分を消すのもアニメーション化されて魅力だった。そして各ツール類の連携機能も有意義だったがとにかく日本語環境が整備されない限り日本市場で本格的に売れるはずもなく、この点が私をしてNewton MessagePad用ソフトウェアの開発にパワーを投入できなかった大きな要因だった。
MessagePadを毎日鞄に入れて持参していた私もその実用面での魅力が急速に減退していくのを感じたものだ。細かなことはともかく、画期的な情報端末として実用とするには何もかも力不足に思えた。
勿論結果論ではあるが、当時の私たちにはある種の絶対的なコンパスというか指針が見えていたように思う。なぜならQuickTimeやPowerPC登場時には文字通り他社に先駆けて開発に専念したが、NewtonしかりPippinしかり、そしてOpenDocに関しても本格的にリソースをつぎ込むことを躊躇した。ために大げさにいうなら私の超マイクロ企業は関連プロダクトに関して決定的な損失を避けることができたのである。

とはいえ、アップルからは相変わらず「他に先んじてNewton用アプリを開発すればビジネスチャンスは大きい」からと具体的な開発依頼が続いたが無論アップルがそのリスクを負ってくれるわけではない。確かに個人的にはアップルユーザーをして喜ばしめた製品だが、冷静に眺めればその筐体は大きくスーツのポケットには入らないし、電車の中などで使うは目立ち過ぎた(笑)。特に企業として開発を進めることを前提に考えると様々な意味でリスクが大きすぎるように思えた。
そうそう...初期Newton MessagePadのスタイラスペンはなぜあのようにペッタンコなのか個存知だろうか?
それはやはりサイズの問題に関係する。Newtonプロダクトの概要が決定しプロトタイプを作っていく課程でジョン・スカリーはジャケットのポケットに入るサイズに変更するよう要求したが、開発陣はもともときつい開発スケジュールと相まってパニックを引き起こしたという。すでにサイズを限度まで小さく削ったと考えていた開発陣は苦悩するが、結局製品の角を落とし筐体の肉厚を薄くした。そしてMessagePadは本体右側にスタイラスペンを装着するポケットがあるわけで、全体の幅を縮めなければならない仮定でスタイラスペン自体も薄くせざるをえなかったのである。

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※Newton MessagePadとiPod touchのサイズ比較

Newton MessagePadはリリース当時すでに「発売を急ぎすぎた」といった声があった。その画期的なテクノロジーに賛美の声があがる一方でNewton開発には何か見通せない不安材料も感じたし、事実Newtonプロジェクトが開始されてからそれが中止されるまでの11年間に膨大な研究開発費が投入されてAppleの経営を圧迫しただけでなく日本人技術者の自殺をはじめ、有望だったはずのCEOや副社長級の人材を退職や破滅に追いやる結果になった。
自身がNewtonの失策を責められてCEOの場を失ったジョン・スカリーだが、結果として彼は大きな判断ミスをしただけでなくAppleの舵取りを誤ったことになる。
無論日本では公表されるニュース以外、当時知る由もない情報が多かったが、1997年にはNewton部門の独立を発表したものの直後にまたAppleに戻すといった茶番もあり、結局1997年にリリースされたMessagePad 2100を最後に翌年1998年Newtonの開発は中止されることになる。

こうしてMessagePadはその光を失ったが、それを象徴するひとつのエピソードを思い出す。それはいつのことだったか、JDC(ジャパン・デベロッパー・コンファレンス)があった際、なんとMessagePad 100が参加者全員に無償で配られたのだ。お土産としてはまだまだ価値はあったものの、私は回りに散らばるように置かれている多くのNewtonパッケージに哀れを感じた。

ところでいまだに間違った認識をされている方がいるようだが、Newton MessagePadの”Newton”は商品名ではない。「ニュートンテクノロジーに基づいたメッセージパッドという製品」という意味になる。
いま私が久しぶりに手にしたMessagePadはモデルナンバーがH1000という最初期のものであり、これは1993年のMACWORLD Expo時に699ドルでリリースされたものだ。しかし翌年1994年3月に新製品MessagePad 110と共にROMを変更したMessagePad H1000はMessagePad 100と改名されて出荷された。

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※筆者所有のMessagePad背面。モデルナンバーは最初期のプロダクトを示すH1000になっている

NewtonはAppleにとってApple IIIやLisaと同様大きな失敗と位置付けられているが、サイズ問題ひとつをとっても当時Appleが理想としたプロダクトを作るには少々時代が早かったともいえる。しかしMessagePad H1000を手にするとそのディテールにAppleの拘りをひしひしと感じる。本体は一見つや消しのブラックに見えるが実は限りなく黒に近いグリーンであり、かつ触っても指紋が付かないプロテイン塗装といったスウェードのような風合いは見事である。そして確かにその存在感は本体サイズを別にしてもiPod touch以上のものだと思う。
スティーブ・ジョブズがAppleに復帰した後に葬り去られたNewtonプロジェクトだが、現在にまったく繋がっていないわけではない。例えばCPUに同じARMを使っていることでiPodの誕生はNewtonの後継だったと見ることができるかも知れないし、iPodのOSを開発したPixo社はAppleでNewton開発に関わった技術者が創立した企業だという。

歴史上において物事は文字通り点ではあり得ない。Appleのお荷物的存在であったNewtonだったが、関係者が意図するしないに関わらずその情熱とコンセプトは時代を超えてAppleのDNAになっているに違いない。

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クラムシェル型 iBookにAirMacカードを装着

世間ではMacBook Airが注目を浴びているとき、当研究所ではクラムシェル型iBookにAirMacカードを装着するといったことを楽しんでいる(笑)。作業は最新機種のMac Pro導入と平行して進めているが、最新機種のセットアップよりはずっと気が楽である。


Mac OS 9環境下の評価用にとクラムシェル型iBookを使い始めたがなかなか使い勝手はよい。ただし常設ではないため、いちいちネットに接続するためにEtherケーブルを抜き差しするのが面倒なのでAirMacカード装着することを思いついた。しかし身近で旧型のAirMacカードが手に入らなかったのでヤフーオークションで探すことに...。幸い完動品をまずまずの価格で落札できたので早速取り付けることにしたが、悪い癖でろくに下調べもせずに始めたので困ったことに...。

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旧型のAirMacカードをオークションで入手

昔、昔に一回だけこのクラムシェル型iBookにAirMacカードを取り付けたことがあったが、記憶によれば難なくできたはずだと作業を始めた。通常まずやらなければならないのはバッテリーを取り外すことだが、残念ながらバッテリーはほぼ死んでいる。このまま作業を続けても問題はないと思ったが、そこは念には念を入れてとバッテリーを外してからキーボードの取り外しにかかる。
キーボードはマイナスネジ型になっているロック部分をドライバーで回し、両サイドにあるノブを下げると簡単に外すことができる。するとその中央にAirMacカードの装着場所がある。後はAirMacカードにiBookから出ているケーブル一本を取付け、留め金のワイヤーをくぐらせてキーボード手前内部にあるコネクタに平行にはめ込めばよい...。

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iBookのキーボード部位を外すとAirMacカード装着部がある

まあそんな感じで特に難しいところはなかったはずとAirMacカードをスロットに差し込むが、これがどういうわけか入らない。強引に押し込んでコネクタのピンを曲げてしまっては大変だからと慎重にやってみるが上手く行かないのだ。
正直いらいらしてきたことでもあり、一時そのままにして別の作業をやることにした。しかしもしかしたらコネクタ側のピンの一部がすでに曲がっていて入らないのかも知れないと心配になり確認してみたが問題はない。そんなことで時間がかかってしまったが、その後に急用ができたのでその日はキーボードを元に戻してAirMacカード取付は中断となった。

外出しながらも上手くいかなかったことが気になって仕方がない(笑)。難しいことならまだしも、単純だと思っていたことほど思い通りにいかないのは気分が滅入ってくる。しかし、さすがにAirMacカードとiBookのことだけを考えていられるわけではなくその日は忘れてしまったが翌日になり再度挑戦することに...。
面白いもので頭がクリアになったのか昨日には思いもしなかった閃きというか記憶が蘇ってきた。それはAirMacカードは裏返しにして装着するということだった。思い込みとは恐ろしいものでこんな単純なことを昨日は思い付かなかったのである。
装着部分の右にそのやり方の図があるわけだが、せめてカード表面にバーコードでも記してあれば裏面を上にして差し込むことに気がつくのに...と自分の不注意を棚に上げて腹が立つ(爆)。
問題点が分かれば簡単である。少々コネクタへの差し込みは固かったものの今度は当然のことながら上手く行った。

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AirMacカードは裏面を上にして装着することを思い出すのに時間がかかってしまった...

早速取り付けたAirMacカードが問題なく動作するかを検証したが幸いトラブルはなく、Internet Explorerでインターネットに接続してみたが流石に古いソフトウェア環境のためか、ネットサーフィンするサイトのいくつかの表示が変だ。しかし表示スピードなどもまずは実用に値することが意外だった...。まあ、実際にMac OS 9でインターネットを使っていた時期は通信インフラ自体が遅かったから、これだけスムーズにアクセスできる事実に違和感があるのだ...。

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装着したAirMacカードを使いインターネットに接続してみた。なかなか快適ではないか

後は新しいバッテリーが入手できれば理想的なのだが...。

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当研究所にクラムシェル型 iBookが新規参入

クラムシェル型 iBookのデザインは個人的に好きではない。しかし今回Mac OS 9.x環境の確認作業をすることになり、設置や片付けがしやすいと考えて入手してみた。


初代iBookは
1999722日、MACWORLD Expo NewYorkで発表された。カラーはタンジェリンとブルーベリーの2色だったがそれぞれ半透明素材とのツートンカラーであり、素材やデザイン面ではiMacおよびeMate 300から影響を受けていると思われる。
クロックは300MHzのPowerPC G3で12.1インチのTFT液晶ディスプレイを装備し内蔵バッテリで約6時間動作した。そして何よりも話題をさらったのは無線ネットワークすなわちAirPort(日本名はAirMac)をサポートしていることだった。無論このiBookはiMac同様に大ヒットとなった。

今回私が手に入れたiBookはグラファイトカラーでiBook SEと称され2000年に発表された製品だ。ポリカーボネート素材を使ったツートンカラーのホワイト部も最初期の透明感のあるものとは些か違い、乳白色に変更されている。
その丸みをおびたデザインを可愛いとする評価も多いが、当時そのデザインは好きではなく個人的な購入は躊躇した。しかしソフトウェア開発に際して機材を外部に貸し出したり、テストマシンとしては便利なため、会社で数台購入した記憶がある。

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2000年2月にリリースされたiBook SE(Special Edition)のグラファイトカラー

また可搬性を考慮したそのハンドルは便利だが、結果としてAppleは材質の使い方を誤ったという見方もある。なぜなら現在まで使われているiBookの多くはハンドルの付け根やヒンジの部分などにヒビが入るケースが多いのだ。今回私が手に入れた製品も取っ手部位のネジ回りに小さなクラックが生じている。
この前後の時期、AppleがリリースしたApple 20周年記念モデル、iMac、iBookそしてG4 Cubeといった製品はすべてジョナサン・アイブのデザインだったが世間で賞賛された割には問題も多かった。20周年記念モデルは本体背面から出ている太いメインケーブル根本の被覆が割れることが多かったしiMacの円形マウスは最悪のデザインだった。そしてG4 Cubeの成型で問題が生じたのはまだまだ記憶に新しい。
iBookにしても繰り返すがインダストリアルデザインに現実の製造ノウハウが追いつかなかったからか、筐体に割れやヒビが入るケースが多かった。
それから写真などでこのiBookを見ると小型に見えるが、それは全体的にカーブを使い上手に全体を絞り込んだデザインにある。この種のデザインは最新のMacBook Airのデザインにも活かされているように思えてならない。
ただしそのiBookの液晶部を開いてみると筐体は意外に大きいことがわかるし、円形筐体に矩形の液晶をはめ込んだそのデザインはいまだに違和感を覚える(笑)。

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クラムシェル型 iBookを開くと意外に大きいことがわかる

それから仕方のないことだが、バッテリはすでに使い物にならないのでACアダプタを使わざるを得ない。機会があったらサードパーティ製のバッテリーでも入手してみようと考えている。
ところで、私はこのiBookにMac OS 9をインストールして活用しようと思っている。実際にMac OS 9環境で細かな実作業をすることはほとんどないが、Mac OS環境を確認したりする作業は私にとって決して少なくないため、必要なときに取り出し、使い終わったらたたんで仕舞い込むことができ設置場所を取らないiBookはなかなか便利なのだ。
このグラファイトのCPUはPowerPC 750 366MHzを採用しており、現在のマシンから見ればあまりにも非力だがMac OS 9で確認作業をする程度なら、あるいはインターネットへのアクセスやメールのやりとり程度ならまだまだ十分な能力を持っていると言えるだろう。

その後iBookは進化を続け、現在のMacBookにそのDNAをつないでいるわけだが、あらためてその全体を眺めてみるとリアルタイムで見ていた時期と些か印象も違って面白い。現在のMacBookやMacBook Proといったシャープなデザインに慣れた目からみれば私には少々デザイン過剰気味であり野暮ったくも見える(笑)。しかしこのシェル型iBookはAppleプロダクトの歴史に間違いなく残る製品なのだ。

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Mac 128Kを512Kにアップグレードしたロジックボードの怪

過日手に入れたMacintosh 512Kとそれまで所持していた128Kを512Kにアップグレードしたマシンのロジックボードを比較したとき、今更ではあるがおかしなことに気がついた。


Macintosh 128Kから512Kへ、あるいはMacintosh Plusへとマシンが進化する過程でAppleは異例ともいえるハードウェアのアップグレードを行った。無論有料だったがユーザーにとっては大変ありがたいサポートだった。
128Kから512Kへのアップグレードは事実上メモリが4倍になっただけであり、128Kのロジックボードのメモリの実装は基板に直付けだったことからロジックボードそのものを取っ替えるというアナウンスだった。ただし背面のインターフェイスも変更がないため、128Kの筐体そのままでロジックボードのみ512Kというマシンが多々存在することになる。
これに対して128Kあるいは512KからPlusへのアップグレードはロジックボードの交換はもとより、インターフェイスそのものがSCSIの追加などで大幅に変更されたため、フロント部のケースはそのままだが、背面側のケースはPlus用のものに交換せざるを得なかった。
当時のアナウンスでは128Kあるいは512KからPlusへのアップグレードは、背面側のケースもロジックボードと共に交換であり、回収してユーザーには渡さないという方針だった。しかし実際にはその処置に困ったのだろうか、私のアップグレード時には旧型の背面ケースはそのまま手元に戻ってきた(笑)。

さて、このロジックボードの交換というのが今回のテーマでありミソである。繰り返すが128Kや512Kのマシンはそもそもユーザー側の拡張性を意図的に配した設計であった。したがってユーザー自身がケースを開けてメモリを増設するといったことは最初から考えられていないわけだ。
本体を開けるには特殊なドライバーも必要だが、それでも実際には本体内部に空冷用の機器を入れたりハードディスクを内蔵するための製品などが登場した。ただし128Kや512Kのメモリは、繰り返すがロジックボードへ直にハンダ付けされており、現在のようにメモリを簡単に増設することはきなかった。

そうしたことを踏まえて話を進めるが、新たに入手した512Kのロジックボードと以前手に入れた128Kを512Kにアップグレードしたものとを今回比較するため、もともと128Kだったロジックボードを引き抜いてあらためて確認して驚いた...。
このメモリを512KBにアップグレードした128Kマシンは当然のことながらロジックボード交換されたはずだ...。正規のアップグレードならすべてが同一条件であり、他に選択肢はないと考えていたが、手元のロジックボードは変なのである(笑)。

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問題のマシンのリアパネルはMacintosh 128K用のものだ(上)。写真下はそのロジックボード

なぜならこのロジックボード上のRAM実装エリアにあるメモリチップは基板に直付けではなくソケットに挿されているのだ!そして基板の端にはボールペンで「128K改512K」といった小さな日本語メモが書かれたシールが貼られていたのである。またメモリ増設に伴っての対処だと思うが、メモリ基板の一部はジャンパ線が数本使われている。

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メモリを512KBに拡張されたそのメモリチップはロジックボードに直付けでなくソケットが使われていた!

これでは512Kへのアップグレードの際はロジックボードを丸ごと交換だとした当時のアナウンスに反するではないか(笑)。まあ、物理的にハードウェアに詳しい人ならこうした改造も不可能ではないかも知れないが、当時はハードウェア設計にかかわる情報も少なかったし、第一ソケットのハンダ付けも大変きれいになされていることからユーザーレベルで改造されたとは思えないのだが...。だとすればジャンパ線は見苦しい(笑)。
いや、理窟だけなら私も128Kのロジックボードを512Kにする方法は知っている。秋葉原にでも行ってIC用のハンダを溶かして吸い取る道具を購入し、メモリチップをすべて綺麗に外すか、あるいは実装してある64Kチップを犠牲にするならメモリチップを切断してロジックボードから外した後でハンダを溶かしてリードを取り去ることもできる。ちなみに後の方法は乱暴なようだが、各種のチップが実装されているロジックボードをハンダコテであれこれと長時間熱すると多くの部品を傷めてしまうからである。
ともかく、後は256Kのチップは64Kと同サイズだからそのまま実装し、データセレクタ部品と抵抗2つ、そしてコンデンサ1個を交換すればOKである...はずだ(笑)。
無論今となっては手元にあるロジックボードについて調査のしようもないが、こんな面倒なことをやった個人がいたのだろうか...。
それとも前回
「Macintosh 512Kのマザーボードを見聞する」に記したとおり、一時期のマザーボードには128Kと512Kのどちらにも使えるマザーボードが存在したらしいことは分かったが、同時に512Kへのメモリ増設の可能性を考慮してこうしたソケットを使ったロジックボードのバージョンがあったのだろうか?

今頃気がつくのもだらしがない話だが、少なくとも私はMacintosh 128Kや512KマシンのRAM実装にこうしたソケットを使ったロジックボードがあることをこれまで知らなかったのである(嗚呼)。もしどなたか、このメモリ実装にソケットを使った128Kあるいは512Kマシンの由緒や事情などをご存じの方がいらしたら是非お教えいただきたい。

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Macintosh 512Kのマザーボードを見聞する

Macintosh 512Kが登場した理由は128Kではあまりにもメモリが少なかったからだ。初代Macに関してはスティーブ・ジョブズの拘りが細部にまで行き届いてはいたものの、結局はトータルバランスとコストを考えるとAppleとて時代を超えることは難しかったというべきか...。


Macintosh 128Kのメモリは64KBのメモリチップが使われていた。これが基板に直付けされており、したがってユーザー側での増設はできなかった。メモリがSIMMの形式になり、ソケットに挿すことで増設が可能になるのはMacintosh Plusからである。
とにかくスティーブ・ジョブズはMacintoshを個人のためのコンピュータと位置付け、誰でもが使えることを目指した。そのためにユーザーの拡張性を配すると共にコスト面にも大きな配慮を迫られたという。現在ではメモリの価格は安価の方向へ動いているが、当時は基本的に大変高価なものであった。
この初代Macintosh 128Kのメモリに関し開発段階でもメモリ不足は顕著であり開発陣も悩まされたという。
アンディ・ハーツフェルド著「レボリューション・イン・ザ・バレー」によれば、メモリのやりくりは、システムとアプリケーションのいずれかを書く場合にも、最も難しい部分だったと回想している。128KBのメモリではシステム用として約16KB、スクリーン用に約22KBの割り当てが必要であり、アプリケーション用には90KB程度しか残らなかった...。

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Macintosh 512Kのリアパネル表記(上)とロジックボード(下)

無論当時からこのメモリの小さな事に批判があったことも事実である。あのアラン・ケイはMacintosh 128Kを評して「批判されるに足りる初めてのコンピュータ」と評しながらも「1リッターのガソリンしか持たないホンダ」と批判しジョブズの怒りをかった。またガイ・カワサキは初期Macの速度とメモリの問題を解決するのに時間がかかった理由を「我々は、みんな、あまりにも疲れていたし、傲慢すぎたし、愚かすぎた...」と後悔の弁を語っている。
AppleはこのMacintosh 128Kの販売直後から128KBのメモリではサードパーティ各社が魅力的なソフトウェアを開発することに二の足を踏まざるを得ない現実を認識せざるを得なくなる。
当時、ジョナサン・アンドリュー・M・シーボルト(シーボールト・レポート・オン・プロフェッショナル・コンピューティング)のように「現状の64KBのメモリチップの代わりに、今年中に市場に出回る新しい256KBのチップを採用すれば、大きなロジックボードを使用することなく、RAMの容量を128KBから512KBに増強できるはずだ。」といった現実的な評論をしていたメディアもあり、メモリを増やしたMacintoshの登場は必然であったといえよう。

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Macintosh 512Kのロジックボード上にあるRAM実装エリア

ともかく128KBのメモリではまともなことはできなかった。したがってAppleはMacintosh 128K発表の8ヶ月後にメモリを4倍にしたMacintosh 512Kを発表することになる。この ”FatMac (ふとっちょマックの意)”と愛称がついたMacintosh 512Kは有料ながら128Kからのアップグレードサービスが実施されたことも特筆すべき出来事である。
今回入手したMacintosh 512Kはそのアップグレードをしていないオリジナルな512Kだが、ロジックボードを見ると面白いことに気がつく。それは基板の端に「128K」と「512K」というプリントがあり、どちらかにチェックをつけられるようになっている。

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ロジックボードは128Kと512Kのどちらかに印をつけるようになってる

基板の製造年は”1983-84”となっているところから推察するにこの頃はメモリチップを換えることで128Kならびに512Kのどちらのロジックボードも製造できるようになっていたと思われる。なおこの基板は勿論512Kの箇所に印らしきものがあり、かつI/Oポート側の金属部分には512Kと印刷された小さなシールが貼られていた。無論これらはロジックボードが128Kなのかあるいは512Kなのかを組立時に間違えないようにという配慮であろう。

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ロジックボード背面の金属部には"512K"の丸いシールが貼ってある

入手したMacintosh 512Kは幸いロジックボードは意外に綺麗だった。またアナログボードやモニタもトラブルはなかったので安心したが、ただひとつ内蔵フロッピードライブが壊れているようで動作しなかった...。したがって起動テストなどは外付けフロッピードライブを使わざるを得なかった。機会を見て内蔵フロッピードライブを交換したいと考えているが、正直実用機ではないのでまずはこんなものだろう(笑)。
さて、このMacintosh 128Kのロジックボードと比較してみようと手持ちのMacintosh 128Kの一台を開けてみたところ面白いことに気がついた。その話はまた別途お届けしたい。

【参考資料】
・ 「アップル・コンフィデンシャル2.5J」(上巻)アスペクト刊
・ 「レボリューション・イン・ザ・バレー」オライリージャパン刊

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我が研究所にMacintosh 512Kが仲間入り

私は自身をマックのコレクターだとは思っていない。しかしオールドMacを調べるには実物がなくてはどうしようもないし他者の情報だけでは自分を納得させることができない。世間では世界で最も薄いノートパソコン「MacBook Air」が注目を集めているとき、私の手元に届いたのはMacintosh 512Kである(笑)。


Macintosh 512Kを正面から見るなら、初代マックのMacintosh 128Kと見分けが付かない。勿論背面のリアパネルを見れば一目瞭然だが、印象的なのは “Macintosh 512K” というプレートが初代Macintoshとは違う機種であることを主張している。またI/Oポートも128Kと違う点はなく、相違はその名のとおり主メモリが128KBから512KBと4倍に拡張されただけだ。
なお念のために記せばMacintosh 512Kには別に後述するMacintosh Plus登場後も販売していたMacintosh 512Keという機種が存在する。512Keの”e”とは”enhance”すなわち機能を向上させたバージョンの意味で、具体的には512Kの64K ROMを128Kに、そして内蔵400K FDDを800K FDDにアップグレードしてある。

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Macintosh 128Kと512Kは正面からでは違いが分からない(上)。背面のI/Oポートも同じだがリアパネル表記は勿論エンブレムは512Kをきちんと主張している(中と下)

ご承知のようにMacintosh 128Kが発表されたのが1984年1月であり、Macintosh 512Kが発表されたのはそれからたった8ヶ月後の同年9月であった。その背景にはAppleが当初考えていたほど販売台数が伸びなかったことにある。特にビジネス市場ではそのメモリの少なさにサードパーティもMacintosh用アプリケーション開発に二の足を踏んでいた。
何しろスティーブ・ジョブズは1985年末までにMacintosh 128Kを200万台売ると強気の発言をしていたにもかかわらず、現実には50万台程度しか売れなかった。結局200万台を突破したのは1988年になってからだった。
こうした現実を突きつけられたAppleが急いでリリースしたのがMacintosh 512Kだったのである。この通称FatMacと呼ばれたマシンの登場でサードパーティ各社もマイクロソフト社のExcelをはじめ、ビジネスソフトは勿論、ゲームやプログラミング言語など魅力的なソフトウェアが登場し始めることになる。さらに容量が400KBでしかないフロッピードライブの非力さを補う意味でAppleは外部ドライブ・ポートを使った外付けハードディスク「HD-20」をリリースする。こうして環境が徐々にではあるが整ってきたこともありMacintoshの真価は認められつつあった。
ただしMacintosh 512Kだとしても日本語処理を考えるとまだまだメモリが足りなかった。そのハンディキャップを埋めるべくキヤノン販売が512Kに独自のJIS第一水準の漢字ROMを搭載したDynaMacをリリースしたことはご承知の通りである。

しかし、より市場を活性化させるため1986年にMacintosh Plusが登場したことでMacintosh 512Kの存在意義は短命に終わることになる。またこの時期Appleはハードウェアのアップグレードを行ったため、かなりのユーザーがMacintosh Plusへ移行する。したがってMacintosh 512Kの筐体のままで、かつ正常に動作するマシンはそう多く残っているとは思えない。また最初のMacintosh 128Kは貴重扱いされるが、どうしても2番目に登場したコンピュータは影が薄く、2世代Macintoshの座はその内部もインターフェイスも大きく変わったMacintosh Plusに譲ることになる(笑)。
それらにも増して1985年にはスティーブ・ジョブズがAppleを追われ、この時期はApple自身も財政難で苦しむことになり、Macintoshの魅力の全てはMacintosh Plusに託されることになる。

というわけでこのMacintosh 512Kはマニアの間ではレア物であるものの実用性を考えれば非力であり、オールドMacの世界を手軽に楽しむならSCSIポートがブラスされ、メモリも1MBに増設されたMacintosh Plusをお勧めする。とはいえオールドMacを好んで研究する私にとっては今回入手したMacintosh 512Kをはじめ、Macintosh 128K、Macintosh PlusそしてMacintosh SEとコンパクトMacの基本シリーズが揃った意義は大きいのである。

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左からMacintosh 128K、Macintosh 512KそしてMacintosh Plus

準備ができたら別途このMacintosh 512Kについて色々とご報告したいと思う。

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今見るとなかなか面白い "Apple Spec Chart"

1996年前後におけるAppleプロダクトを調べる必要があり、手持ちの資料を引っかき回していたが、ちょうど1996年5月にAppleから発行されたApple Spec Chartという印刷物があったので開いてみた。しかし当時は何と製品数の多いことか...。


スティーブ・ジョブズがAppleに復帰して実権を掌握したとき、ニュートンとクラリスの両プロダクトを止めそれまで存在していた多くの機種を整理して4つの製品ラインに集約させた。それは「プロ向」「コンシューマ向」という軸と「デスクトップ」および「ポータブル」といったマトリックスに分類され、そこにはPower Mac G3、 iMac、PowerBook G3そしてiBookといった製品が当てはめられた。
この改革がいかに大がかりであったかについて現在では忘れ去られているが、当時どれほど多くの製品群があったかを知れば、それまでのAppleがいかに手当たり次第に新製品を投入してきたかが伺える。
申し上げるまでもなく製品ラインナップが多いことはコストにも関係する。製造したすべてのマシンが在庫を抱えず完売するなら苦労はないが現実には製造ラインの確保、部品の調達、商品管理、販売戦略の多様化、流通の複雑化そしてユーザーサポートといったあらゆる面でコストがかかる理窟である。
そうした理窟を示すように当時Appleは財政的にも最悪の状態であり、買収の噂は日常茶飯事だった。1996年早々にはそれまでのCEOだったマイケル・スピンドラーが取締役会で退任を迫られ、ギルバート・アメリオにその座が変わった。その上1996年5月10日にはあのPowerBook 5300の製造を中止しリコールを実施するなどトラブルにも見舞われる。

Appleが1996年に発行したApple Spec Chartを見ると当時いかに多くのプロダクトを持っていたかに驚くばかりだ。Apple Spec Chartは折りたたむとレターサイズの寸詰まりみたいな大きさだが、広げると新聞を見開いたより一回り小さい程度の大きさになる。そして片面には「Current Product」もう片面には「Historical Reference」と区別され、各製品たちとその基本スペックが一覧表になっている。
ここでは取り急ぎ「Current Product」の面だけを取り上げてみるが、”Current”といえば申し上げるまでもなく現行流通している製品あるいはサポート対象の製品を意味する。ただしすでに生産を中止している製品も含まれてはいる...。

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Appleが1996年に発行したApple Spec Chart。iPod touchはサイズ比較のために置いた

いやはや、あらためて一覧リストを眺めるとため息がでるが、そのすべてを書き出しては大変なので概要だけご紹介してみよう。ただし本資料は米国におけるものであり、当時の日本市場とは相違があることをご承知いただきたい。
まずデスクトップの「Power Macintosh」だが、私も使っていたPower Mac 6100などを含めて13機種がリストアップされている。そして当時コンシューマ向けとして市場投入されていた「Macintosh Performa」が8機種あるがPower Mac共にクロック違いのバリエーションもあり、実際にはより多くの機種が市場に溢れていたことになる。また別途サーバー系マシンとして「Network Servers」が2種、「Workgroup Servers」が6種載っている。

「PowerBook」としてはPowerBook Duo 2300cなど全部で12種類が掲載されており、デスクトップとノートを含めると現在では考えられないほど多くの製品群を抱えていたことになる。
しかし当時のAppleにとってはこれらのMacintoshだけでなく他の製品も存在した。それがプリンタとディスプレイである。それらを記せば「Apple Printer」として14機種もあるし、「Apple Display」が7種ある。無論蛇足ながらプリンタがあるなら、そのためのインクリボンやトナーなどの消耗品も存在することになる。

これらに対して現行機種はどれほどあるかを考えればその違いはあまりにも大きい。確かに現行機種にはBTOといったバリエーションもあるがMacintoshとしてはMac Pro、MacBook、MacBook Pro、MacBook Air、Mac mini、iMacだ。その他フラットディスプレイが3種あるが、最近はiPodの種類やカラーバリエーションが増えたし、Time CapsuleあるいはApple TVといった製品もあるわけで、一時期と比べればかなり製品数が増加している。さらにiPhoneひとつをとってもバリエーションが登場するといった噂もあるから、ここ当分はプロダクトの数は増え続けるに違いない。しかし、いずれの日にか再び大鉈を振るわなければならなくなるのだろうか(笑)。

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Macintoshデスクトップピクチャ物語

Leopardの初期デスクトップピクチャは宇宙をイメージした印象的なものだが、Macintoshにとってデスクトップのイメージ、すなわちデスクトップピクチャは最初から切っても切れない魅力であった。しかしパターンではなくイメージを貼れるようにしたのはサードパーティだった。


現在のデスクトップは最初から「イメージ」「自然」「植物」「白黒」そして「アブストラクト」といった多くのイメージや写真からいつでも好みのモノを選択して表示させることができる。またそのデスクトップピクチャは固定ではなく標準機能で設定の時間毎にデスクトップピクチャを変更することもできる。無論ユーザー自身で撮影した写真などもiPhotoに入れておけば「システム環境設定」の「デスクトップとスクリーンセーバー」からデスクトップピクチャとして利用することも簡単だ。さらにサードパーティが開発した製品やフリーウェアなどの中にはデスクトップピクチャに動画を利用することまでできるものがある。

このデスクトップピクチャひとつをとっても様々なエピソードが記憶に残っている。例えば会社のパソコンのデスクトップピクチャにヌード写真を使っていたサラリーマンがセクハラだと厳重注意を受けたとか、会社のマシンに許可なくデータをインストールすることを禁じられていたにも関わらず、子供の写真をセットアップしようとしてマシンをフリーズさせ大目玉を食らったという話も身近で聞いた(笑)。
ともかく自分のMacintoshをオリジナリティ豊かに変貌させる最も安易で簡単な方法がこのデスクトップピクチャを変えることでもあり、多くの方々が様々なデスクトップを楽しんでいることと思う。しかし実用面から考えればヌード写真はもとよりだが愛犬の写真だとしても気が散ることこの上ない(笑)。重なったウィンドウの間から彼女の顔がのぞいたりすれば作業に集中できないだろうし、それはそれとしても多くのファイルやフォルダが置かれるデスクトップだから、デスクトップピクチャがくどければファイルの認識も悪くなるに違いない。

さてMacintoshと切っても切れないデスクトップだが、1984年に登場したMacintosh 128Kは当初ユーザー側で作った写真を貼ることなど考えもしなかった。まあ、ご承知のように当時の環境は手軽に写真をデジタル化することはできない時代でもあった。それらを実現するにはMacVisionというビデオデジタイザやThunderScanといったイメージスキャナなどを必要としたが、価格も含めてまだまだ一般的ではなかった。さらにそうした周辺機器を手に入れたとしてもマシンは白黒2値だったから、イメージはディザで表現するしかなく、現在のフルカラー写真のイメージとはほど遠かった...。
ただしMacintoshには最初からデスクトップのパターンを変える自由度が備わっていた。

ここでは漢字Talk1.0時代のSystem 6.0.7を例とするが、そのコントロールパネルを表示してみると”Desktop Pattern”設定部位がある。ここには小さな矩形が2つあり、左に8×8ドットで構成されているパターンジェネレータが、そしてマウスクリックでドットのON ・OFFができパターンの最小範囲を構成できる。

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漢字Talk1.0 コントロールパネルにきデスクトップパターンを編集する機能が付いていた

これで作成したパターンは右にある小さな仮想デスクトップに反映され、それをクリックすると実際にデスクトップが変更されるという仕組みである。

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前記デスクトップパターンを変更した一例

これらを実際に使ったことのない方々には何やらつまらない事だと思われるかも知れないが、当時はこれでもかなり楽しめたものだ。
パターンの種類も大して作れないと思われるだろうが、MacPaintの塗りつぶしパターン用として1984年にリリースされた
「500 Menu Patterns」というパターン集を見るとなかなか奥が深いこともわかるが、すぐ飽きもする(笑)。

ではユーザーが作成した絵とか写真(白黒2値)をデスクトップピクチャとして使えなかったのか...といえば、1986年にリリースされた「DeskScene」というソフトウェアが随分と話題になった。

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「DeskScene」のオリジナルディスケット(上)とそのアバウト(下)。ディスケットラベルにはBruce Hornの名前が...

「DeskScene」はMacintosh Plusの時代になりやっとハードディスクが普及しだしたからこそのツールでもあった。なぜならそれまでのフロッピーベースの起動ではフロッピー毎にシステムが含まれているわけだから、デスクトップの変更は当然フロッピー毎になってしまう。したがってハードディスクにインストールされたシステム上のデスクトップを変更することで、ユーザーはいつも好みのデスクトップと対面できることになったわけだ...。

このツールは任意のMacPaintファイルをデスクトップピクチャとして登録できるという魅力的なものだったし、いま見ると笑ってしまうものの、サンプルとして入っていた2値の写真...特にタイガーの写真などに我々は驚喜していた。また他にもいわゆるフリーウェアなどで同種のツールがあったはずだが「DeskScene」は一番安心して使える製品だった。

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「DeskScene」の象徴的イメージとなったサンプルデータ。当時はこの写真を凄いと思った(笑)

実はこれにはちょっとした裏話がある。なぜならこの「DeskScene」を開発したのはAppleでMacのリソースマネージャ、ダイアログマネージャ、そしてFinderを書いたあのBruce Hornその人だったからである。Bruce Hornは1984年にAppleを離職していたが、Macintoshのシステムを熟知していた彼にとって「DeskScene」の開発はお手の物だったに違いない。別途
「MacintoshのAbout昔話」をご覧いただけばわかるが、最初期MacのアバウトファインダにはStive Capsの名と共に開発者として彼の名前が明示されている。
無論当時はこうした詳しい経緯は知る由もなかったが、Macの可能性というか奥深さにますます魅了されていくのであった(笑)。

まあ、Macのデスクトップピクチャのあれこれは128KとかPlus時代から楽しみの一つであり、そのクオリティは現在とまったく違うものの、ユーザーを魅惑する大きなアイテムであった。「デスクトップピクチャ万歳!」。

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MacintoshのAbout昔話

マックユーザーならAbout = アバウトとは何を意味するかは皆さんご存じのはずだ。現在のMac OS X環境ではアップルメニューの一番上にある「このMacについて」に相当するが、最初期のシステムでは「About the Finder...」とファインダバージョンを意味していた。


今回はMacintoshの進化の過程を検証するひとつのエピソードとして”About”の話題を取り上げてみる。
About = アバウトを少し古い辞書で確認してみると”About Finder”という項があり「アップルメニューの一番上に表示されるメニューアイテムで、現在のFinderの使用状況を表示するもの。SystemやFinderバージョン、使用しているメモリなどが表示される」とある。
また2003年版のアスキー刊「Macintosh用語事典」の”アバウト”には「ソフトウェアの作成者やバージョン、連絡先などを記したウィンドウ。ソフトウェアを起動したあとでアップルメニューの一番上の”○○について”を選ぶと、このウィンドウが現れる。」とあり、続けて「アバウトボックス、またはアバウトダイアログとも呼ばれる。」という解説がある。

こうした表記の違いは、時代と共に進化していくMac OSの変化に関連し、その名称の使い方が些か混乱していることによる...。私たちが日常Macintoshの「アバウト」と言うときにはシステム側のそれを意図するのかアプリケーションのそれを意図するのかを明確にしなければならない。
もともとこのAboutメニューアイテムの箇所はプログラム的に起動するアプリケーションへ開放されていたため、アプリケーション使用時にはそれぞれのアプリのアバウト表示になるのが昔から通例であったが、アバウトがないアプリケーションも存在した。

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※アプリケーションのAbout表示機能がない製品の一例

ということで最初期のデスクトップ上のAbout表示は前記したように「About the Finder...」であり、それはシステムバージョンではなくファインダバージョンを意味するものだった。

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※最初期のAboutはファインダバージョンを意味した

まだMac OSという呼び名もされていなかった最初期のシステムを見てみると、SystemならびにFinder共にインフォメーションを確認しても”System document”の表示とサイズ表記などはあるもののバージョン表記はない。ただしアプリを起動前の”About the Finder...”を見ると印象的なアバウトダイアログが表示され、そこにはFinderバージョン”1.1g”と記されている。このアバウトダイアログは後のMac OSの一部システムにもイースターエッグとして残されたと記憶している...。

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※最初期システムの”About the Finder...”によるアバウトダイアログ

1984年の後半から1985年にかけて出荷されたアプリケーションでは、そのアバウトダイアログが大幅に変更されている。確か1985年の初頭に入手した
「MAGIC SLATE」というユニークなグラフィックアプリケーションのシステムは前記と同様にまだSystemおよびFinderファイル共にバージョン表記はないものの、”About the Finder...”を見るとシンプルな矩形中央に”the Macintosh Finder”とあり、その下に作者名として”Bruce Horn and Stive Caps”の名が、そして左下にメモリ表記、中央下に”Version 4.1”ならびに”(c)1985 Apple Computer”と記されている。

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※1995年表記のFinder Version 4.1のアバウト

さらに1986年に購入した
「Calculator Constraction Set」のアプリケーションに含まれているシステムではそのアバウトダイアログの形態は前記と同様だが、バージョン表記が”Version 5.3”となっており、SystemおよびFinderファイルにもそれぞれ3.2と5.3とバージョンが表記されるようになった。

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※1996年表記のFinder Version 5.3のアバウト(上)とそのフロッピーディスケットに当該システムを含んでいたアプリケーション「Calculator Constraction Set」のアバウト(下)

その後System 6.0.7の時代になるとアップルメニューの表記は “About the Finder...” ではなく”Finderについて...”となり、そのアバウトダイアログも記憶に新しいより実用的なスタイルになった。そこにはSystemならびにFinderバージョンが表記され、メモリ容量やFinderとSystem共にメモリ使用量が棒グラフで表示されている。

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System 6.0.7のアップルメニューの表記は”Finderについて...”となりアバウトダイアログも変わった

またMac OS 7.1ではメニュー表記が ”このMacintoshについて...”となり、そのアバウトダイアログに機種名やアイコンと共に空きメモリ容量も表示されるようになる。

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System 7.1のアップルメニューの表記は”このMacintoshについて...”と変更され、アバウトダイアログも機種名が表示されるなど変更された

ちなみにMac OS 8.6のアバウトも確認してみたが、メニュー表記は”このコンピュータについて”と変更され”Mac”とか”Macintosh”の名称が省かれている。これはその前後に互換機をめぐる一連の時代があったことを象徴するものと思われる。

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Mac OS 8.6のアップルメニューの表記は”このコンピュータについて”となり、私見ながらアバウトダイアログはアンバランスなデザインとなった

この時期はAppleがパワー・コンピューティング社やユーマックス社にMac OSのライセンスを供与した時代であり、Mac OSが使用されるマシンがMacintoshとは限られなかった名残と考えられるのではないか...。そしてそのアバウトにはどう見てもアンバランスなグラフィックが配置されており、今から思えばApple一番の混乱期の象徴のようにも思えて興味深い(笑)。
現在我々はLeopardというMacintoshの歴史始まって以来最も優れた、そしてエキサイティングなMac OS Xを使っているが、そのOS環境はアバウトひとつをとっても様々な変遷があったことを記憶に留めておきたいものだ。

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Macintoshの歴代コントロールパネル考

コントロールパネルとはMacの各種設定を行うためのもので、漢字Talk 6.0.7までは主にDAのコントロールパネルのことを指していたが、漢字Talk 7からはそれぞれのコントロールパネルファイルを意味する。あらためて最初期からのコントロールパネルを眺めてみると興味深いことに多々気づく。


オールドMacを扱うと...無論当時は考えもしなかったものの、その歩みの先にある進化の経過が分かっているわけで、大げさに言うなら歴史を俯瞰する面白さを味わうことが出来る。
先日漢字Talk 1.0と2.0の違いを調べていたとき、その漢字Talkにも大いに関係するコントロールパネルの違いに興味をひかれた...。

コントロールパネルは本来はMacintoshの各種設定を行うためのものだったが、後になって機能拡張と同様に起動時にシステムの機能を補強するための役割も果たすようになってきた。
そもそも最初のMacintosh 128Kはその開発コンセプトとして、ユーザーが本体を開けて何らかの拡張を行うことを意図的に排除した設計になっていた。このことはスティーブ・ジョブズの拘りであったとされているが、そのコンセプトなるものはソフトウェアというかOS周りにもうかがえる。

例えばMacintoshの最初期コントロールパネルは多くのアイコンデザインを担当したスーザン・ケア女史のデザインによるものだが、それを見れば時刻設定や音量調節をはじめ、デスクトップパターンの設定など限られた機能しかなく、また外部からコントロールパネル内への機能追加は許されていない。あくまでAppleが用意した機能しか使えない仕様になっている。しかしカーソルの点滅やメニュー項目の点滅スピードなどをカスタマイズできるなど、ユーザー側の微妙な好みを考慮した設計も目をひく。
やはりジョブズはMacintoshのハードウェアと共にそのOS環境もそれ自体が完成されたマシンであり、他者のカスタマイズを排除する意図があったものと考えられよう。

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※Macintosh最初期のコントロールパネル。スーザン・ケアのデザイン

しかしこうしたクローズドな環境であっても、独自な手法を見つけ出してシステムの機能を拡張あるいは変更しようというプログラマたちやサードパーティも存在し事実多くのソフトウェアが登場した。とはいえカスタマイズが本格化したのはAppleが公式に機能拡張を目的とするインターフェイスを採用してからだ。
それはSystem 6.0.7で実用化となったが、漢字Talkのバージョンで言えば2.0でFEP(日本語変換ソフト)が独立可能となったなど、当時からのユーザーにとってはいまだに記憶に残っている重大なできごとだった。これにより当時Appleが用意した稚拙な2.0変換システムではなく、例えば国産初アウトラインプロセッサTurboLinerに付属していた日本語入力フロントエンドプロセッサ(FEP)であるTurboJipやEGBridgeあるいはATOKのようにサードパーティ各社が開発し提供するものを容易に組み込んで利用できるようになった。

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※漢字Talk 1.0のコントロールパネル(上)と漢字Talk 2.0のコントロールパネル(下)。漢字Talk 2.0からはウィンドウ左にアイコンリストがスクロールする機能がついた

そのコントロールパネルを見ると左部分にスクロールするアイコンリストがあることがわかる。そして各アイコンをクリックすることでそれぞれの設定パネルが現れるという仕組みだ。こうした仕様はSystem 7になるまで続く。そしてSystem 6.0.7の時代を中心にしていわゆるINITとかCDEVといった拡張ファイル活用が大きなMacintosh文化を形成するが、反面予備知識もないユーザーでも雑誌の付録やパソコ通信などで入手したこれらを簡単にシステムから出し入れできるという自由度を持ったインターフェイスはコンフリクトという大きなマイナス面を体験することになる。
とにかくシステムフォルダに何でもかんでも入れてしまう...入れることが出来るため、何が入っているかもわかりずらくなってもくる。なによりもINITやCDEVと称するファイルの中には得体の知れないものまであり、それぞれの機能同士が衝突し、動作の不安定やシステムエラーを引き起こすことになる。
当時私の会社でもこうしたトラブルに対し、ユーザーサポートの基本中の基本は「まずはAppleが提供するもの以外のINITやCDEVを全部外して検証してください」ということだった。

この種の混乱はSystem 7になってかなり改善された。それはSystem 7になってシステムフォルダ内にサブフォルダを置けるようになり、コントロールパネルならびに機能拡張といった別々のフォルダが用意されたことによる。また例えばシステムフォルダにコントロールパネルや機能拡張ファイルをドロップすると、それぞれを認識してコントロールパネルの書類は自動的にコントロールパネルフォルダにインストールされるようになった。ただしこれらの改善がコンフリクトを100%無くすこととは別途のことであり、現在のMac OS Xユーザーには想像もつかないほど当時のアクティブユーザーはエラーに悩まされたものだ。そしてこのSystem 7による改良はMac OS 9に至るまで基本的には変更がなかった。
したがってSystem 7からは厳密にいえばすでに統一された「パネル」型のインターフェイスではなくなったわけだが、いちいちシステムフォルダ内の各フォルダにアクセスするのでは煩雑だということで新しいインターフェイスが採用される。それがコントロールバーであった。
当初PowerBookで採用されたコントロールバーは漢字Talk 7.5.2からデスクトップマシンでも利用できるようになり、音量設定やファイル共有設定などなどの諸設定をこれまで以上に素早く行えるようになった。したがって当初のコントロールパネルとは大きく違うものの、その名からも伺えるように一種のコントロールパネルに相当するものだった考えられよう。そしてこのコントロールバーは初期設定だとウィンドウの下に位置したバーを引き出して使うというもので、現在から見ればこのコントロールバーこそMac OS XのDockに発想をつなげるものであったと思える。

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※Mac OS 8.6のコントロールバー

なお、Mac OS Xになってからはご承知のようにコントロールパネルというものは無くなったが、システム環境設定がそれに変わるものとなった。

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※Mac OS X 10.5 Leopardのシステム環境設定

最後にひとこと言い添えるならコントロールパネルに限られたことではないが、Mac OSの進化はApple独自の発想だけでここまで来たものではない。多くのサードパーティや世界中のプログラマが「いかにしたらより便利になるか」「いかにしたらより面白くなるか」といった情熱で様々なユーティリティを開発してきた。それらのひとつひとつをここで取り上げることはしないが、大規模なものから微細な機能に至るものまでそうしたサードパーティ各社やユーザーのアイデアを採用することによりMac OSは進化を続け現在のMac OS Xに至ったと考えるべきだろう。
これまた記憶に新しいことだが、
2000年10月21日に新宿の高島屋などで限定販売され、一般ユーザーが手にできた初めてのMac OS Xのパッゲージにはこう書かれていた。
「あなたの力が必要です。Mac OS Xを先進的で直感的なオペレーティングシステムにするために。そう、世界で最高の。」と...。

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古くて新鮮なペン型ポインティングデバイス〜「Crayon」マウスペン再考

すでに何回かご紹介しているが、ポインティングデバイス研究の一環として過去の印象的な製品を見直している。それらの中にはOS 9時代には使ったことのない物もあるが、そうした製品の中には現在の視点で見ても面白く新鮮に映るものもある。


そうした中から今回はペン型ポインティングデバイスの代表格として
Fellowes Computer社製「Crayon」をご紹介してみたい。
このCrayon...クレヨンは "Mouse Pen" と呼ばれた製品で、その名のとおりペン型マウスという位置づけのものだ。インターフェイスはADB(Apple Desktop Bus)でありドライバは不要である。「Crayon」という名称もグラフィックデバイスとして親しみやすさを感じさせる。

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※「Crayon」本体とADBコネクタ部分

本体の長さは15センチほどで、横から見ると何だかプラナリアを連想する(笑)。そして頭部の角度を持った部分に小さなボールが装備されている。またボディ上面にはペンに沿ってふたつのボタンがあり、それは先端側のボタンがマウスで言うところの左ボタンとして働き、もうひとつの手元側ボタンはクリックして一端離しても "押したままモード" として働く。この機能は例えば線画を描き続ける際にボタンを押し続ける必要がないので便利だ。

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※「Crayon」本体形状は何だかプラナリアみたいだ...

本製品はその形状から推察するまでもなく、鉛筆やペンといった我々が通常アナログ世界で文字や絵を描くときに使っている道具をイメージした使い方ができるのが特徴だ。ちょっと太めではあるがペンを持つ要領で保持し、人差し指をボタンの位置に置いて使う。
正直この「Crayon」を最初に見たとき、マウスを単純にペン型にしただけの製品と思ったが、実際に手にして使ってみるとこれが意外に具合が良いのである。

取り急ぎ「Crayon」をMacintosh SEのADBポートに接続し、インストールしてあるグラフィックソフトの逸品「SuperPaint 2.0」を起動してみた。無論Finderからアプリを起動するまで一連の操作をやったのも「Crayon」である。
手にしてみた「Crayon」は意外といってよいほど使いやすい。なぜこうしたデバイスがもっと広がらなかったのだろうと思うほどだ。
具体的な使い方は申し上げるまでもないと思うが「Crayon」の先端のボール部分をペン先のように机上などに押しつけて移動させる。面白かったのは机上だけでなく左の掌とか椅子に座っている膝の上などでもまずまず自然なオペレーションができることだ。

今回はMacintosh SEに接続したが、その9インチサイズのモニタ領域にカーソルを移動するにはまったく問題はない。「Crayon」の精度はそこそこだとしてもペン型であるが故に簡単な絵を描く場合でもマウスよりはずっと使いやすいし直感的だ。そして腱鞘炎で思うようにならない私の右手でも苦にならない。
まさかタブレットのように下絵を正確にトレースするような使い方には向かないが、あくまでマウスペン...ペン型ポインティングデバイスとしてはなかなかの使い勝手だといえよう。

ただし粗を探すとすればどうにも本体が安っぽいのが気になる(笑)。もしいまこの種の製品を作るならワイヤレスも可能だろうし、もう少し高級感を持たせ...例えばボディをアルミニウム、そしてより細くMac OS X対応製品として実現してくれたら私は間違いなくひとつは買う(笑)。
...などと考えていたら現在でも種類は多くはないもののペン型マウスが存在していることがわかった。インターフェイスがUSB仕様の製品は勿論、ワイヤレス製品もあるようだが残念ながらWindows向け製品がほとんどであること、そして何やら複雑化して私のイメージからはちょっと遠いものが多い。ただしひとつだけ
気になる製品があった。トラックバーエモーションを使っていなければ即買いしたかも知れない。いずれにしても今回「Crayon」という一時代前の製品を使ってみた素直な感想として、申し上げるまでもなくプロダクトの完成度にもよるものの、この種のペン型マウスを再評価してもよいのではないかと思った。

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iPod touch ショートガイドツアー[私的YouTube編]

iPodに搭載されているアプリケーションのひとつにYouTubeがある。YouTubeについて今更の説明は不要だろうが、これらの動画を理窟無しで楽しめるのもiPod touchならではだ。しかし時代は変わった..。


iPod touchのトップ画面からYouTubeアイコンをクリックするだけで、膨大な動画データにアクセスし閲覧できるその画面を見ていると、つい私は遠くを見つめてしまう(笑)。
YouTube(ユーチューブ)についての解説は不要だろうが、米国カリフォルニアにある企業が運営するもっとも成功したインターネット動画共有サイトであり、2006年10月Googleに買収された。その後も独立したYouTubeブランドで運営されている。

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※YouTubeへのアクセスはWi-Fiネットワーク環境が設定してあればトップ画面にあるYouTubeアイコンをタップするだけである。

ご承知のようにパーソナルコンピュータによる "アニメーション" はともかく、ビデオ録画の映像と音声、すなわち実写のデジタルビデオをパソコン上でフィードバックできるようになったのは一般的にQuickTimeが登場した1991年暮れからだと信じられている。しかし当サイトに頻繁にアクセスしてくださる方々はすでにご承知だと思うが、特殊なプロフェッショナル市場はともかく、コンシューマ向けのMacintoshによるデジタルビデオシステムは1989年に私の会社が開発した
VideoMagician IIで最初に実現したものであり、QuickTimeが登場する1年半も前のことだった。
というわけで、iPod touchとYouTubeのテーマだとはいえ、今回はオールドMac的な内容になる(笑)。

さて当時私の会社はNIFTY-ServeでFMACCGというフォーラム運営をしていたが、1991年暮れになってそのひとつのスレッドで小さな動画が話題になっていた。それは出荷されたばかりのQuickTimeを使った120×90ピクセルの大変小さなQuickTimeムービーだった。
そのソースは8mmビデオで撮ったものをムービーにしたものだったが、「鹿と女房」というタイトルでフォーラムにアップロードしたものだ。
内容はたわいもないというか極私的なもので、女房と奈良に旅行した際に撮影したもだったが、女房がへっぴり腰で奈良公園の鹿に鹿せんべいを差し出している場面だった。そして画質も現在の感覚からすれば酷いものだったが、リアルなサウンドつきで、まごう事なきQuickTimeによるデジタルビデオデータだった。勿論そのアップロードの意図はQuickTimeムービーの魅力と実際を多くの方に知ってもらいたいということだった。
そんな小さな動画が話題になったということは、まだまだ一般的にQuickTimeによるデジタルビデオを自身で試すどころか、実写による動画を見るユーザーも極端に少なく、今ではウソみたいに聞こえるだろうが、この「鹿と女房」を見てQuickTimeを知ったという人も少なからずいた時代だったのである。
事実フォーラムに書き込まれた「鹿と女房」への反応には以下のようなものがあった。1991年12月当時に交わされた数人の方の反応をご覧いただければいやでも当時の時代を感じていただけるだろう(笑)。


FCARにもQuickTime Movieをいくつか転載しましたが、どれも
コンピュターグラフィックで作ったアニメばかりですので、
実写のMovieを見てみたいと思う今日この頃です。

どうやったら「鹿と女房」が見られるのか教えてください。

早く松田さんのMovieを拝見したいのですが、肝心の
QuicTimeがありません。
年内にはNiftyでも手に入ると聞いた事がありますが
どなたかアップされているフォーラムご存じ
ありませんか?

実際にディスプレイでMovieを見ると、
いいですねーーー(水野晴雄調)

昨日から今日にかけては私のNifty専用回線はつなぎっぱなし
でした。とにかく800KB程度のファイルでも一時間半程度UPの
時間があるのですからUPする方もダウンされる方も大変です
よねぇ。

ところで画質なのですがあまり奇麗ではないのですね。といっても
私もRasterOps364を使っているのでこれが限界だろうとのさっしは
つきますが。
でも、こうやって動画と音を見ていると私がパソコンを手に
して以来の夢がもうすぐ実現するのだなと感無量です。

見た感想は、データ量の圧縮がこれからの課題ではないかと感じられました。6秒
間のムービーであの量ではなかなか大変なような気がします。


それから数年間、私の会社は小さなマーケットではあったが、Macintoshの...いやパソコンによるデジタルビデオ関連技術やそのノウハウに関して時代の最先端を走っていた。多くのメディアからの取材依頼を段取りするのも大変だった。勢いで私自身も「QuickTimeの手品」といった関連図書まで出版したが、一時期は寝ても覚めても「QuickTime」「デジタルビデオ」が頭から離れなかった...。
しかしまた、MACWORLD EXPO/Tokyoやマルチメディア国際会議、プライベートショーなどでQuickTime関連ツールをお見せすると一部プロフェッショナルからは高い評価をいただくも、失礼ながらモノを知らない人たちから「画質がテレビより悪い」「320×240では使い物にならない」とか「秒間10フレームではねぇ」などとイチャモンを付けられた(爆)。こうした評価はユーザーだけではなく一部のメディアにしても同様だったのである。
何しろQuickTime関連データを扱う最上位機種がMacintosh IIfxやIIciだった時代だったから、それにビデオソースから映像と音声をリアルタイムに取り込むことを考えると、IIfxクラスだとしても120×90程度で秒間7〜12コマ、320×240だと4〜6コマ程度がやっとだった。その上に前記したニフティのフォーラムにデータをアップするにも当時はインターネットは勿論、光はおろかADSLといった通信インフラはなくアナログモデムでやり取りしていた時代だから、数百KB程度のファイルだとしてもこちらが何とかアップしたとしても、おいそれとダウンロードしてくれない時代だったのである。
というわけで、ひと言でいうなら個人的にデジタルビデオの扱い...あれこれに疲れたこともあって動画を扱うことを封印していた時期もあった...。いや...マジ...本当のことである。

時代は進み、パソコンでデジタルビデオは当たり前となり、誰も驚く者はいなくなった。そしてあれほど「画質...画質」と言っていた人たちもYouTubeの "あの画質" を何の疑いもなく有効に活用して楽しんでいる(笑)。皮肉でなく結構な時代になったのだ。
実際、iPod touchからWi-Fiネットワーク環境でダイレクトにYouTubeへアクセスして動画を閲覧できることに感激を覚えない人は不幸な人である(笑)。これを感嘆せずに何に感嘆すればよいのだろうか...と思うほどiPod touchによるYouTube閲覧は気楽で楽しい。

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※YouTubeからムービーを読み込み中の表示(上)と当サイト自身でYouTubeへアップした動画をiPod touchでアクセスして閲覧しているところ(下)。

そもそもiPod touchは写真と同様に動画も携帯できる。しかし、YouTubeはiPod touchのフラッシュメモリを大きく占有せず、世界中の人たちがアップした動画データを好きなだけ眺められるのも素敵である。ましてや自身で動画をYouTubeにアップしておけば、それをどこからでも(Wi-Fiネットワーク環境が必要だが)見ることが出来る事実は、動画にもみくちゃにされて疲れた一人のオヤジに再びデジタルビデオにチャレンジしてみようかという気を起こさせるほど魅力的だ(笑)。
デジタルムービーはどうやらここにきてやっと画質やエフェクトといった枝葉にとらわれることなく、アイデアやそのコンテンツ自体がポイントなのだということに多くの方々が気づいたようだ。

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今更の2DDフロッピーディスケット入手に苦労した話

最新のプロダクトiPod touchを左手に、オールドMacのMacintosh 128Kを右手に...といった感じの毎日を送っていると些か頭が混乱する(笑)。そのような折り、20年ほど前のソフトウェア使用環境再現ならびに使い勝手向上を図るためフロッピーディスケット(2DD)を入手することにした...。


古いソフトウェアやシステムのバックアップは別途ご報告したCFカードシステムなどを有効に活用して使いやすさの向上と保存の確実さを実現のため、少しずつ作業を進めている。しかしその過程やオリジナル製品の使い勝手を体現するためにはやはり当時のフロッピーディスクベースによる起動をも再現できるようと考えている。
しかし皮肉なことにあれほど使い捨て同然だったフロッピーディスクが今思うように手に入らないことがわかった...。
すでに5.25インチフロッピーだけでなくMacintosh 128Kからスタートした3.5インチフロッピーディスクもメディア製造から撤退した企業が多いと聞く。無論現在でも3.5インチのフロッピーディスクは販売されているものの、それらのほとんどは容量1.44MB...すなわち2HDと呼ばれる製品である。

私は1989年から約14年間、Macintosh専門のソフトウェア開発企業をやっていたことから、この3.5インチのフロッピーディスクにはビジネスがらみで多くの思い出がある。
起業してからの数ヶ月、自社開発のパッケージは業者の手を借りずに自分たちで初期化して複製を作り検証し、そしてディスクラベルまで貼っていた...(笑)。その後、幸いにして自社開発製品はもっともマックらしいソフトウェアとして多くのユーザーや市場に認知していただき、出荷本数も大量になったためフロッピーの複製からラベル貼り、そしてパッケージ製作やシリアルナンバーの添付などに至るまでを専門の業者に依頼することになった。しかしバックアップや配布用のために3.5インチフロッピーディスクは1,000枚ロットで購入したものだ。
フロッピーディスクの購入はパッケージのメディアがCDになってからも数量は少なくなったものの続いたが、ある次期からそれまでオーダーする度に価格が下がっていたフロッピーがピタッと下げ止まりになったことがあった。正確な価格は覚えていないが、2HD一枚当たり50円弱ほどまでになったはずだ。

無論ピーク時は「フロッピーは使い捨て」といった感が浸透していた。Apple II時代の5.25インチ時代は10枚組で16,000円ほどもしたこともあって、それはそれは大切に使ったものだし、3.5インチにしても最初期は不要になったものは初期化して何回も再利用したものだ。それがいま思えばバブルという時代だったのだろうし、企業の製品としてまさか再利用のメディアを使うわけにもいかないという事情もあって、それはそれは破棄するのも仕事のひとつ...といった感じだった。
ともかくその当時の名残として個人的にも大量に購入しておいた未使用3.5インチ2HDフロッピーディスクはいまも百数十枚は保管している。しかし最近はMacintosh PlusとかMacintosh SEで活用するべく2DDフロッピーディスクの在庫がゼロなのに気がついたのだった...。現実には中身を消去してもよいと思われるものが結構あるものの、一度消したデータは二度と手に入らないしバックアップは面倒だ。したがって2DDフロッピーが必要になると、さてどうしたものかと毎度悩むことになる。
勿論Macintosh SEなどで2HDフロッピーは読めないものの、インサートした後のメッセージに従って両面初期化すれば2DDとして使える。物理的にはそれでもよいはずだが、そこはやはり本物の2DDに拘りたいではないか(笑)。
それなら高価なものではないし、この際少しまとめて買っておこうと考えたが、時代はすでに3.5インチフロッピーディスクだとしても2DDは簡単に手に入らなくなっていたのだった...。

ネットで調べても「生産中止」とか「売り切れ」の文字が躍っているだけだ...。例えば見つかったとしても「新品・最終入荷!製造終了!帝人3.5-2DD(50枚バルクX10セット)ステンレスカバーの価格比較 最安値63,000円」といった凄い販売が目に付く(爆)。無論500枚もいらないし、それにしても一枚126円は高い!
あれこれと探していたところYahoo!オークションで適当なブツがあったので落札した。ソニー製MFD-2DDを60枚だったが、これだけあれば当分は役に立ってくれると思う。落札価格を書くのは野暮だろうから書かないが、送料などを考えるとそれでも少々高めだった(笑)。

FD2DD
※今回入手した3.5インチ2DDのフロッピーディスケット(右)。左はMacintosh用フォーマット済みの2HD

その3.5インチフロッピーディスクも自社開発のパッケージ用として入手していた際は、Macintosh本体のカラーリングに合わせて、アイボリーだのプラチナホワイトといったものに拘ったが今回のはごく普通のブルーのやつだ。また贅沢をいえばソニー製は好きでは無かったのだが背に腹は代えられない(笑)。

さてその2DDだが、果たしてノートラブルで使えるのがどの程度あるのか...まずはフォーマットしてみようと思う。それにしても3.5インチフロッピーディスクの入手に苦労する時代になったのだから...感慨深いものだ...。

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CFカードシステムでMacintosh Portableをリペアする

以前手に入れたMac Portableが起動しなくなった。なんとSadMacが出てしまうのである...。起動しないオールドMacなんて私にとっては意味がない。したがって時間を見つけて何とか修理しようと考えていたが、やっと作業が終わった。


とにかくオールドMacの中でもこのMacintosh Portableという代物は厄介なマシンである。厄介とはトラブルが多いと言うことだ。そして起動させるためには色々なオマジナイも必要なのだ(笑)。
まずは内蔵バッテリーだが、この鉛電池は時代ものであるがゆえに完全に使えなくなっている。この辺のあれこれは煩雑すぎるので触れることを避けるが、バッテリー周りといいバックアップ用9V電池の扱いといい一筋縄ではいかないものばかりである。
まず内蔵バッテリーがいかれると純正ACアダプタでは電力不足のため起動が安定しないのである。安定しないどころか、まずは起動しない(笑)。こうしたトラブルの処し方としてプラグが同一形態であるPowerBook 100をはじめとする出力がDC 7.5Vのものを代用することが知られている。しかしPowerBook 100用のアウトプット2.0AのものよりPowerBook 165cや180c用の3.0A仕様の方がよいので私はそれを使っている。無論こうした正規手段ではない使用は常にリスクを伴うが、すべてを自己責任で対処するしかない。

CFDrive1G_08
※左からMac Portable純正ACアダプタ。続いてPowerBook100用の出力2.0Aおよび一番右がPowerBook160cなどで使われた出力3.0AのACアダプタ

その上にPortableの40MB純正ハードディスクドライブは壊れやすい事でも知られているし、液晶ならびにバックライトなどもすでに18年ほど経過しているわけだからこれまたいつ壊れてもおかしくないのだ...。

さてSadMacのエラーコードもあまりアテにならないが、常識的に考えればハードディスクが一番の問題に違いないと判断...。したがってまずこの壊れやすいと言われている内蔵ハードディスクがいまだに使い物になるかを検証することから始めなくてはならない。それにはまず外部の起動システムを用意し、それから起動させて内蔵ハードディスクを検証ならび初期化できるか...などなどを実践する必要がある。
問題は大げさな言い方になるが手際よく作業するにはどうしたらよいかだ...。本体自身で起動できないのだからフロッピーベースから起動するか外付けのHDシステムなどを使うしかない。常套手段としては手元にあるハードディスク・ユーティリティのSilverlining(フロッピー)で起動させてそのままハードディスクを生き返らせれば良いわけだがSilverliningのシステムには"Portable"用のコントロールパネル書類がインストールされていないからだろう、吐き出されてしまう。
ここでふと思い出したのは先にレポートしたCFカード起動システムのテスト時に使ったSystem 6.0.7には確か"Portable"用のコントロールパネル書類も入っていたはず...。
早速CFカードをその20MBのものに差し替えMacintosh PortableとSCSIケーブルで接続して起動を図ってみると幸いCFカードから起動しただけでなく内蔵の純正ハードディスクがマウントしているではないか!これなら復活させることが可能かも知れない...。
先に吐き出されたSilverliningのフロッピーディスクを入れて内蔵ハードディスクをイニシャライズし、CFカード内のSystem 6.0.7をハードディスク内にコピーする。

CFDrive1G_00
※Mac PortableをSystem 6.0.7のCFカードシステムから起動し、初期化のためにSilverliningのフロッピーディスクを入れたところ。幸い内蔵HDは認識された

Macintosh PortableからCFカードシステムを外し、フロッピーディスクも取り出してから再起動を実行すると嬉しいではないか...Macintosh Portableの内蔵ハードディスクから正常に起動した!

CFDrive1G_07

CFDrive1G_09
※内蔵HDが復活し、Mac Portable単独で機能ができた(上)。System 6.0.7、Finderは6.1.7。幸いバックライト液晶も今のところは問題ないようだ

これで一応目的は達成したものの、問題はいつまで安定した起動ができるかだ。明日にはまた問題が生じる可能性も大だ(笑)。そのうち、時間をつくりMacintosh Portableの内蔵ハードディスクをCFカードにしてしまうことも考えてみたいと思う。
とにかくCFカード起動システムは今後もいろいろと働いてくれそうだ。

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