8 月 2006
Poser入門講座〜人魚の足の処理方法は?
2006/08/31 20:47
KINEMAC講座も一段落ついたし、最近とみに友人からPoserのことであれこれ質問が寄せられるのでPoserでどのようなことが表現できるかをテクニック重視でなく可能性の面から気の向くままに連載してみたい。初回は人魚の作り方だ(笑)。
突飛なタイトルだが先日Poserを使い始めている友人から「人魚を作りたいと思ってそれ用のオブジェクトを買ったがうまくいかない」という電話があった。話を聞いてみると私も過去に通った道であり、いまでは何ということもないあれこれでも初心者としては悩む事実をあらためて知った...。
また「Poserで何ができるか」といったこれまた一言では言い表せない質問も多いので難しい話でなく「Poserを使うとこんなこと、あんなこともできますよ」といった感じで与太話を数話続けてみたいと思う。
無論Poserの達人の方々には何の益にもならないから読み飛ばしていただきたい(笑)。
さて私は残念ながらこれまで人魚を見たことはないが(笑)、ドラマや映画でならいくつかある。記憶に新しいものはといえばやはり「スプラッシュ(1984年)」だろうか。若かりし頃のトム・ハンクスが人魚(ダリル・ハンナ)の相手役である。このダリル・ハンナの美しさは絶品であった。しかし個人的には人魚の映像というと子供心に忘れられない作品がある。偶然家のモノクロテレビで見た「彼と人魚(1948年制作)」)という作品だ(たぶんそうだと思う)。二度と見たことがないので確認できないが、その人魚に少年だった私の心は奪われたといってよい(笑)。もしDVDにでもなっているなら是非見てみたいのだが...。
※筆者所有の「スプラッシュ」レーザーディスク
ストーリーは確か...別荘に来ている初老の男が海でかわいい人魚を釣り上げる。連れ帰って浴室やプールなどに苦労して隠しながらも世話を続けるが最後は海で別れてしまうという話だった。子供心に記憶に残っているのは人魚の美しい姿と男が最後の病院の診察室シーンで医者に体験した人魚の話をすると同年配のその医者が当然のことながら本気にはしないものの「この歳になるとそんな夢をみるようになるなあ...」という部分だ。
大人になるとそんな夢を見るのか...と釈然としない気持ちを持ったことを今でも忘れないほど印象的な作品だった。しかしまあ、あっというまに主人公と同年配になってしまったことこそ夢のようである(爆)。
その人魚好きがフィギュアで人魚を作らないわけはない(笑)。Poserを手に入れた初期の頃に女性フィギュアの足に履かせる形の「人魚下半身オブジェクト」(V3 Mortail)といった製品をダウンロードサイトで手に入れ早速挑戦したものである。
※今回急遽再挑戦した人魚作り(笑)
問題の友人がいうには、タイトスカートでも履かせる感じで済むと思ったが旨くいかない...何かよい方法があるのか?という話だった。はいはい...私も当時悩んだので思わずニヤッとしたが今日の「人魚の作り方」の解決策は「フィギュアの両足を消してしまいましょう」という結論である。
※このままだと両足が隠れない(上)。下は階層の編集」パネルの一部
よくよく観察すればダイナミックな衣装でもスカートの裾処理などはなかなか面倒だがVictria 3 (女性フィギュアの名)の両足は人魚の尾びれにしたがって細くなっているサイズに収まるわけがないのだ。説明のテキストなどをよく見ればどこかに書いてあるのだろうが友人は私以上にそんなものは読む気もないから困る(笑)。
※前記した表示から両足の表示を消した例
ともかくこうしたときにはある種の逆転の発想が重要である。目的は人魚をレンダリングできればよいのだからその際に人魚の下半身オブジェクトを履かせた上でビジュアル的に不要な女性フィギュアの両足を消去すればよい理屈である。それにはウィンドウメニューの「階層の編集」パネルを表示させるとアクティブになっているオブジェクトの各部位が階層構造的にずらりと一覧になる。この階層の一覧で例えば首とか腰とか頭などなど、部位ごとに表示の ONとOFFができるのである。したがって人魚の下半身を着せた後、大腿部から下をすべて消去すれば話はそれで終わりだ...。
その旨を友人に伝えると「なあんだ...簡単じゃないの」という反応!
おいおい...簡単ではないから一晩考えたんだろうがぁ...。まあマジック同様にネタがわかってしまえばそんなものなのだが...。
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突飛なタイトルだが先日Poserを使い始めている友人から「人魚を作りたいと思ってそれ用のオブジェクトを買ったがうまくいかない」という電話があった。話を聞いてみると私も過去に通った道であり、いまでは何ということもないあれこれでも初心者としては悩む事実をあらためて知った...。
また「Poserで何ができるか」といったこれまた一言では言い表せない質問も多いので難しい話でなく「Poserを使うとこんなこと、あんなこともできますよ」といった感じで与太話を数話続けてみたいと思う。
無論Poserの達人の方々には何の益にもならないから読み飛ばしていただきたい(笑)。
さて私は残念ながらこれまで人魚を見たことはないが(笑)、ドラマや映画でならいくつかある。記憶に新しいものはといえばやはり「スプラッシュ(1984年)」だろうか。若かりし頃のトム・ハンクスが人魚(ダリル・ハンナ)の相手役である。このダリル・ハンナの美しさは絶品であった。しかし個人的には人魚の映像というと子供心に忘れられない作品がある。偶然家のモノクロテレビで見た「彼と人魚(1948年制作)」)という作品だ(たぶんそうだと思う)。二度と見たことがないので確認できないが、その人魚に少年だった私の心は奪われたといってよい(笑)。もしDVDにでもなっているなら是非見てみたいのだが...。
※筆者所有の「スプラッシュ」レーザーディスク
ストーリーは確か...別荘に来ている初老の男が海でかわいい人魚を釣り上げる。連れ帰って浴室やプールなどに苦労して隠しながらも世話を続けるが最後は海で別れてしまうという話だった。子供心に記憶に残っているのは人魚の美しい姿と男が最後の病院の診察室シーンで医者に体験した人魚の話をすると同年配のその医者が当然のことながら本気にはしないものの「この歳になるとそんな夢をみるようになるなあ...」という部分だ。
大人になるとそんな夢を見るのか...と釈然としない気持ちを持ったことを今でも忘れないほど印象的な作品だった。しかしまあ、あっというまに主人公と同年配になってしまったことこそ夢のようである(爆)。
その人魚好きがフィギュアで人魚を作らないわけはない(笑)。Poserを手に入れた初期の頃に女性フィギュアの足に履かせる形の「人魚下半身オブジェクト」(V3 Mortail)といった製品をダウンロードサイトで手に入れ早速挑戦したものである。
※今回急遽再挑戦した人魚作り(笑)
問題の友人がいうには、タイトスカートでも履かせる感じで済むと思ったが旨くいかない...何かよい方法があるのか?という話だった。はいはい...私も当時悩んだので思わずニヤッとしたが今日の「人魚の作り方」の解決策は「フィギュアの両足を消してしまいましょう」という結論である。
※このままだと両足が隠れない(上)。下は階層の編集」パネルの一部
よくよく観察すればダイナミックな衣装でもスカートの裾処理などはなかなか面倒だがVictria 3 (女性フィギュアの名)の両足は人魚の尾びれにしたがって細くなっているサイズに収まるわけがないのだ。説明のテキストなどをよく見ればどこかに書いてあるのだろうが友人は私以上にそんなものは読む気もないから困る(笑)。
※前記した表示から両足の表示を消した例
ともかくこうしたときにはある種の逆転の発想が重要である。目的は人魚をレンダリングできればよいのだからその際に人魚の下半身オブジェクトを履かせた上でビジュアル的に不要な女性フィギュアの両足を消去すればよい理屈である。それにはウィンドウメニューの「階層の編集」パネルを表示させるとアクティブになっているオブジェクトの各部位が階層構造的にずらりと一覧になる。この階層の一覧で例えば首とか腰とか頭などなど、部位ごとに表示の ONとOFFができるのである。したがって人魚の下半身を着せた後、大腿部から下をすべて消去すれば話はそれで終わりだ...。
その旨を友人に伝えると「なあんだ...簡単じゃないの」という反応!
おいおい...簡単ではないから一晩考えたんだろうがぁ...。まあマジック同様にネタがわかってしまえばそんなものなのだが...。
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私にとってPoserやVue 5は画材であり絵筆と同じ
2006/08/24 22:03
Poserの話題が続く...。これを使い始めて約半年たつ友人と話をしていて気がついた。どうやら彼はPoserでレンダリングするフィギュアたちはすべてそのまま3D作品として活用するものだと思っていたようだが...それは大変な誤解である(笑)。
確かにPoserは「3Dキャラクターデザイン&アニメーションツール」であるからして3Dアプリケーションには違いない。またそこから生み出される魅力的なレンダリング結果はセッティングさえ間違いなければ大変リアルで美しく印刷物は勿論、プレゼン用のグラフィックスなどなど用途も広いと思われる。そししてアニメーションも時間は相応にかかるがこれまた他に類を見ない楽しみと共に魅惑的な作品作りが期待できる。
このPoserも最初はかなりマイナーなアプリケーションではないかと思っていたが世の中は広いもので、神業としか思えない作品作りやフィギュアを生み出す方々がいらっしゃる。そうした方々の動向をウォッチするのは心から楽しく嬉しい。しかしPoserにしてもそれを何のためにどのようなアプローチで活用するのかという点から見ればこれまた様々な使い方があってもよいはずであり、事実私自身はほとんどアニメーション作りはしない。
まずは時間がないということもあるが、Poserによる作品作りの多くは印刷物への転用であったりプレゼン資料への活用であったりがほとんどだ。ではなぜPoserとかVue 5なのかといえば、人物や景色がリアルに作り出せるからであり、かつ一度シーンを構成すれば3Dの利点を生かしてカメラアングルの変更やら衣装やバックグランドの変更などで多くのバリエーションを短時間に作り出すことができるからである。
そして...ここが肝心のところだがその大半はレンダリングしたそのままのイメージを使うことはなく、例えばPhotoshopやStudioArtistといったレタッチアプリケーションでよりイメージに近いものに加工することになる。無論リアルな女性モデルをレンダリングしてそのまま印刷物に使うことも多いが反面かなりの頻度でそのイメージをイラストとかスケッチ感覚にすることも多い...。
※少々極端な例だが、一番上のPoser 6によるレンダリング結果をPhotoshop(上から2番目)ならびにStudioArtist 3.5(上から3と4番目)で加工した例。
この辺が前記した友人には思いも寄らなかったらしい(笑)。なにやら、せっかく3Dソフトを使って作るリアルなデータを写真やイラストのように加工したりすることはノーマルでないように思っていたらしい...。
しかしそもそもPoserだけでなくVue 5やPhotoshopだって本来は目的ではなく手段である。それを使うことが目的であり趣味だというユーザーを認めないわけではないが多少なりともビジネスの気配を感じながらこうしたツールを使うユーザーはいかにしたらクオリティが高く自分が思い描く作品を短時間に描写できるかを考えなければならず、そうした観点からPoserやVue 5といった3Dアプリケーションの活用はコストパフォーマンスが高いはずなのだ。
趣味で楽しむことは大いに結構だが、友人の場合はその視点が広がらず「Poserは3Dアニメーションを作るソフト」だとしか考えられなかったらしい。
まあ...そのPoserだってよくマニュアルを読めばスケッチモードによるレンダリング機能もあるわけだが、私にとってPoserやVue 5は画材であり絵筆と同じなのだ!

※Poser 6の機能であるスケッチモードレンダリングによる例。なかなか面白い...
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確かにPoserは「3Dキャラクターデザイン&アニメーションツール」であるからして3Dアプリケーションには違いない。またそこから生み出される魅力的なレンダリング結果はセッティングさえ間違いなければ大変リアルで美しく印刷物は勿論、プレゼン用のグラフィックスなどなど用途も広いと思われる。そししてアニメーションも時間は相応にかかるがこれまた他に類を見ない楽しみと共に魅惑的な作品作りが期待できる。
このPoserも最初はかなりマイナーなアプリケーションではないかと思っていたが世の中は広いもので、神業としか思えない作品作りやフィギュアを生み出す方々がいらっしゃる。そうした方々の動向をウォッチするのは心から楽しく嬉しい。しかしPoserにしてもそれを何のためにどのようなアプローチで活用するのかという点から見ればこれまた様々な使い方があってもよいはずであり、事実私自身はほとんどアニメーション作りはしない。
まずは時間がないということもあるが、Poserによる作品作りの多くは印刷物への転用であったりプレゼン資料への活用であったりがほとんどだ。ではなぜPoserとかVue 5なのかといえば、人物や景色がリアルに作り出せるからであり、かつ一度シーンを構成すれば3Dの利点を生かしてカメラアングルの変更やら衣装やバックグランドの変更などで多くのバリエーションを短時間に作り出すことができるからである。
そして...ここが肝心のところだがその大半はレンダリングしたそのままのイメージを使うことはなく、例えばPhotoshopやStudioArtistといったレタッチアプリケーションでよりイメージに近いものに加工することになる。無論リアルな女性モデルをレンダリングしてそのまま印刷物に使うことも多いが反面かなりの頻度でそのイメージをイラストとかスケッチ感覚にすることも多い...。
※少々極端な例だが、一番上のPoser 6によるレンダリング結果をPhotoshop(上から2番目)ならびにStudioArtist 3.5(上から3と4番目)で加工した例。
この辺が前記した友人には思いも寄らなかったらしい(笑)。なにやら、せっかく3Dソフトを使って作るリアルなデータを写真やイラストのように加工したりすることはノーマルでないように思っていたらしい...。
しかしそもそもPoserだけでなくVue 5やPhotoshopだって本来は目的ではなく手段である。それを使うことが目的であり趣味だというユーザーを認めないわけではないが多少なりともビジネスの気配を感じながらこうしたツールを使うユーザーはいかにしたらクオリティが高く自分が思い描く作品を短時間に描写できるかを考えなければならず、そうした観点からPoserやVue 5といった3Dアプリケーションの活用はコストパフォーマンスが高いはずなのだ。
趣味で楽しむことは大いに結構だが、友人の場合はその視点が広がらず「Poserは3Dアニメーションを作るソフト」だとしか考えられなかったらしい。
まあ...そのPoserだってよくマニュアルを読めばスケッチモードによるレンダリング機能もあるわけだが、私にとってPoserやVue 5は画材であり絵筆と同じなのだ!

※Poser 6の機能であるスケッチモードレンダリングによる例。なかなか面白い...
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Poser による3Dバックドロップ利用の勧め
2006/08/23 22:07
"バックドロップ"といってもプロレスの技ではない(笑)。ここではスタジオ写真撮影の際に不可欠な大型背景...一般的にはスクリーンを意味する。Poserを使う友人から質問されたついでに今日は3Dにおけるバックドロップのお話しをしよう。
Poserというソフトウェアは3Dフィギュアを作成するツールだ。無論フィギュアといっても人物だけでなはなく動物・静物あるいは建物などをテーマに作品作りを行うこともあるが、いずれにしても3Dだからしてレンダリングを得て完成に至る。すなわちレンダリングがカメラのシャッターを押すこととになるわけだ...。
このPoserの空間は当然のことながら上下左右、そして奥行きという三次元空間を持っている。そして3Dとはいえこの空間にモデルを置いて撮影...それもリアルに美しくレンダリングするには現実のスタジオ撮影と同様の準備と心構えが必要となる。無論現実の部屋や物理的な道具の準備は不要だが、照明効果と共にスタジオとしての最低限の準備がなければ目的を達成することはできない。
友人の質問は「人物フィギュアを写真館で撮影したように美しくレンダリングしたいが照明の難しさと共に背景をどうしたらよいか...」ということだった。
Poserにはポーズルームのドキュメントウィンドウ上に背景として色を置いたりクリップボード経由で写真などを貼り付けることができる。しかしこれらはあくまでドキュメントウィンドウの背景色(背景写真)であり空間に置かれたオブジェクトではない。
したがってそこに照明が当たって明るくなったり...ということはない。無論これはこれで使い道があるが少なくとも実際のスタジオ撮影のシミュレーションとしては不適切である。ではどうすればよいか...。それは本物のスタジオのようにモデルをバックドロップの前に立たせて適切な照明を当てる必要がある。
Poserの場合、3Dだからして理屈では別途モデリングソフトで何らかの板状オブジェクトを作り、それを背景に置いた上で適当なマテリアルをマッピングすれば役に立つはずだ。それも面倒なら3D空間で使うバツクドロップがオブジェクトとして販売されているので使い勝手がよいものをひとつ用意しておくと大いに役立つに違いない。友人にはそのように勧めた。
私も数種その種のものを持っていていろいろと使ってみたが実際にスタジオ撮影の雰囲気を味わえるだけでなく、距離感やらを演出しやすいように文字通り本物のバックドロップと同じく両サイドのスタンドにロール状の背景を持つ3Dオブジェクトを愛用している。
※愛用しているPoser用のバックドロップ装置(上)。これにマテリアルを乗せてその前にモデルを立たせれば立派な3Dスタジオとなる(下)
なお余談ながら私自身かなり昔にMACLIFE誌の取材を受けたとき、同社の一室にあったスタジオでバックドロップの前に立ったことがあるがその結果はともかく(笑)なかなか貴重な体験だった。

※MacTech Lab.専属モデルに手伝ってもらい(笑)、3種類のバックドロップの前で撮影(レンダリング)してみた例
ところで本物のバックドロップもそのスクリーンには無色のものだけでなくシーンドロップと呼ばれる例えば空と雲とか、あるいは風景などが描かれたものがある。同様に3Dのバックドロップもお気に入りの写真や質感をもったグラフィックをマテリアルルームからマッピングすることで様々な演出ができる。もっとも風景やらを使うとそこに影が映り込んだりしては興ざめだからライティングが難しいし主役のモデルを目立たせるためにも一般的には写真館で撮るような感じのディテールが良いと思う。

※Poser 6のマテリアルルームでバックドロップの変更をしている例
あと...良質の結果を得るには照明の問題をクリアしなければならない。実際の写真がそうであるように照明ひとつで結果はまったく変わってしまうほど難しいものだ。これについてはまた別途機会を作ってお話しをしてみたい。
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Poserというソフトウェアは3Dフィギュアを作成するツールだ。無論フィギュアといっても人物だけでなはなく動物・静物あるいは建物などをテーマに作品作りを行うこともあるが、いずれにしても3Dだからしてレンダリングを得て完成に至る。すなわちレンダリングがカメラのシャッターを押すこととになるわけだ...。
このPoserの空間は当然のことながら上下左右、そして奥行きという三次元空間を持っている。そして3Dとはいえこの空間にモデルを置いて撮影...それもリアルに美しくレンダリングするには現実のスタジオ撮影と同様の準備と心構えが必要となる。無論現実の部屋や物理的な道具の準備は不要だが、照明効果と共にスタジオとしての最低限の準備がなければ目的を達成することはできない。
友人の質問は「人物フィギュアを写真館で撮影したように美しくレンダリングしたいが照明の難しさと共に背景をどうしたらよいか...」ということだった。
Poserにはポーズルームのドキュメントウィンドウ上に背景として色を置いたりクリップボード経由で写真などを貼り付けることができる。しかしこれらはあくまでドキュメントウィンドウの背景色(背景写真)であり空間に置かれたオブジェクトではない。
したがってそこに照明が当たって明るくなったり...ということはない。無論これはこれで使い道があるが少なくとも実際のスタジオ撮影のシミュレーションとしては不適切である。ではどうすればよいか...。それは本物のスタジオのようにモデルをバックドロップの前に立たせて適切な照明を当てる必要がある。
Poserの場合、3Dだからして理屈では別途モデリングソフトで何らかの板状オブジェクトを作り、それを背景に置いた上で適当なマテリアルをマッピングすれば役に立つはずだ。それも面倒なら3D空間で使うバツクドロップがオブジェクトとして販売されているので使い勝手がよいものをひとつ用意しておくと大いに役立つに違いない。友人にはそのように勧めた。
私も数種その種のものを持っていていろいろと使ってみたが実際にスタジオ撮影の雰囲気を味わえるだけでなく、距離感やらを演出しやすいように文字通り本物のバックドロップと同じく両サイドのスタンドにロール状の背景を持つ3Dオブジェクトを愛用している。
※愛用しているPoser用のバックドロップ装置(上)。これにマテリアルを乗せてその前にモデルを立たせれば立派な3Dスタジオとなる(下)
なお余談ながら私自身かなり昔にMACLIFE誌の取材を受けたとき、同社の一室にあったスタジオでバックドロップの前に立ったことがあるがその結果はともかく(笑)なかなか貴重な体験だった。

※MacTech Lab.専属モデルに手伝ってもらい(笑)、3種類のバックドロップの前で撮影(レンダリング)してみた例
ところで本物のバックドロップもそのスクリーンには無色のものだけでなくシーンドロップと呼ばれる例えば空と雲とか、あるいは風景などが描かれたものがある。同様に3Dのバックドロップもお気に入りの写真や質感をもったグラフィックをマテリアルルームからマッピングすることで様々な演出ができる。もっとも風景やらを使うとそこに影が映り込んだりしては興ざめだからライティングが難しいし主役のモデルを目立たせるためにも一般的には写真館で撮るような感じのディテールが良いと思う。

※Poser 6のマテリアルルームでバックドロップの変更をしている例
あと...良質の結果を得るには照明の問題をクリアしなければならない。実際の写真がそうであるように照明ひとつで結果はまったく変わってしまうほど難しいものだ。これについてはまた別途機会を作ってお話しをしてみたい。
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なぜMouseだったのか? マウスのボタンとシッポの物語
2006/08/16 14:44
「マウス」...この魅力的なデバイスはキーボードと共にパーソナルコンピュータのユーザーにとっては重要なものだ。今回はマウスの発明者ダグラス・エンゲルバートの功績と歩みを描いたThierry
Bardini著「Bootstrapping」を参考にマウス誕生時にさかのぼってマウスのあれこれを考察してみた。
先般Apple Wireless Mighty Mouseが登場したとき「シッポが取れたマウス...」という類の取り上げ方が見受けられ、あらためてマウスってどっちが頭なのか...という話も出てきた(笑)。そして最近はAppleのマウスも副ボタン、すなわち右ボタンの利用をサポートしたこともあり、以前のように「ワンボタンとツーボタンのどちらが良いか」といった議論も聞かなくなった。

※Thierry Bardini著「Bootstrapping」表紙
さて、マウスは1960年代後半から1970年代にSRI(スタンフォード研究時)のARC(オーグメンテーションリサーチセンター)にいたダグラス・C・エンゲルバートにより発明された。そしてその命名はまさしくネズミのような形状をしていたからだと言われている。
しかし現在のマウスの形を見るなら、どうしてもボタンのある方が頭に見える。かといって頭からシッポが出ているはずはないとも思う(笑)。どうにも混乱してしまう...。
その疑問について開発者のエンゲルバート自身いわく「最初に製作したマウスは接続コードが後ろから出ていた」そうだからまさしくネズミそのものだったのである。ただしそれではコードが邪魔になるとすぐに気づいて前から出るように変えたらしい...。
確かに1970年のマウスに関するオリジナル特許の図解を見る限りでもマウスのコードは手前に出ている! なるほど...それなら納得だ
。

※1970年にダグラス・C・エンゲルバートの名で申請されたマウスに関するオリジナル特許の図解(部分)。確かにコードは手前から出ている
勿論エンゲルバートたちはマウスだけに拘ったわけではなかった。彼らは最も効率の良い最善のポインティングデバイスを探していたわけだ。例えば彼は右手にマウス、そして左手はピアノの鍵盤のような5つのキーを持つ「コードキーセット」が有用であると主張し、これは後にアラン・ケイたちにより実現されたSmalltalkならびに暫定ダイナブックのAltoでも使われた。しかしご承知のようにこの「コードキーセット」は現在ほとんど忘れ去られている。
※Altoとその周辺機器。キーボード右手前にあるのがコードキーセット。左にあるのが3つボタンマウス
同時にエンゲルバートは「膝によるコントロール」も考えていた。これはポインタ移動の装置を机の下に取り付け、ユーザーの膝の動きでコントロールするもので、膝を左右ならびに上下に動かすことでカーソルを制御するものだった。テストではマウスよりわずかの差で成績がよかったという。
この膝による制御は操作から両手が自由なるという最大の利点があった。しかし当初からこのデバイスが将来普及することには難色があったようだ。想像するに装置が大げさでなるからではないか。
そして他にもヘッドマウント・ディスプレイとか背中マウス、足マウスなどの案もテストされたという。ヘッドマウントといえば初期のMacintosh用として「VCS」という、キーボードから手を離さずにヘッドセットに装備したセンサーで頭の動きを察知してカーソルをコントロールする製品も登場したことがある
。これまた当時6万円以上もしたからか、あるいはそのオペレーションがどうしても滑稽に見えるからか...あまり売れなかったという(笑)。

※1986年当時のMacintosh用ヘッドセットによるカーソルコントロール装置「VCS」広告
1966年にエンゲルバートらはNASAから得た資金でさまざまな装置を使った場合の作業時間を測ったという。例えばコンピュータで画面上のランダムな位置にオブジェクトを表示させ、カーソルを別の位置からオブジェクトまで動かすのに要する時間を測定した。この実験でマウスがライトペンなど他の装置よりも性能がよいことはすぐに明らかになったという。
しかしPARC(ゼロックス・パロアルト研究所)から後にApple Computer社に移ったラリー・テスラーによれば、彼自身最初の頃はマウスの効用を信じていなかったという。カーソルキーの方がずっと良いと思っていたそうだがコンピュータを見たことがない人たちをテスターとして使い、カーソルキーの利便性を教えた後にマウスを見せ「カーソルキーの方がマウスより速くテキストを選択できることを証明しようとした」という。しかしそれは裏目に出て、2分もすると彼らはカーソルキーを二度と触らなくなりマウス一辺倒になった。
こうしてパーソナルコンピュータにとってのポインティングデバイスはマウスが脚光を浴びることになるが、勿論その引き金は AppleのLisaでありMacintoshだった。

※Macintosh 128KからPlusまでをサポートした最初期マウス
さて次はマウスボタンの数の問題に話を移そう...。
ARCでは最初からボタンの数を大した問題とは考えていなかったらしい。当初は前記した「コードキーセット」にちなんでか、5つ程度のボタンを考えていたようだが予備テストの結果でボタンは3つになった。その理由をエンゲルバートは「...よく聞かれるよ。それしかつけられなかったからで、つける余地がそれしかなかった」と言っている。そもそもが単純な話なのだ(笑)。
マウスのボタンの数について、どうでもよいことだと考える人がいる一方でパソコンの歴史の初期からさまざまな議論がかわされてきた。あのマイクロソフトのビル・ゲイツも「マウスにつけるボタンの数はこの業界で最も議論を呼ぶ問題のひとつだ。みんなが宗教的になってしまう」と発言しているという。
ゼロックスのXDSチームにいたディブ・スミスは「...マウスをテストし、ボタンひとつでは十分でないことを見つけた。問題は複数の選択やテキストの広い範囲を選択する時だった。例えばマウスドラッグは普通の人にはとにかく難しい。慣れることは出来るがそれは自然な動作ではない」という意見を持っていた。
結局マイクロソフトマウスなどがそうであったように、一般的には左右の2ボタンマウスが普及することになったが同じくディブ・スミスなどの発言から察するに、2つボタンの採用はボタンひとつでは難しい操作が第二のボタンがあればやりやすくなるという試行錯誤の結果であると思われる。これはある意味「無いよりは有った方が良い」的な良くある発想にも思える。
しかし私見だがこの辺の事情はマウスのボタン数だけに拘ったテストを重ねただけでは事の本質には迫ることはできないと思われる。なぜならMacintosh 128Kが登場したとき、それまでマウスを使ったことのない多くの人たちが何の苦もなくそのワンボタンマウスを使いこなした。
私自身の事情は多少異なるが、その数ヶ月前からNEC PC-100に付属していたマイクロソフト・マウス(2つボタン)を使っていたにもかかわらずMacintoshの1ボタンマウスの操作性の良さに驚愕した思い出がある。
※1984年 NEC PC-100に付属していた2ボタン式のマイクロソフトマウス
そう...ここにはOSを含むソフトウェア・インターフェースの違いについては触れていない。確かに大変難しいことではあるが、ソフトウェアによるいわゆるGUIの出来不出来をも考慮に入れ、意味論的にもそして我々人間の認知プロセスに関する部分まで踏み込んだ比較をしなければ本来比較の意味がないと思う。
ゼロックスやARCに喧嘩を売るつもりはないが(笑)、1960年代から1970年代の当時のコンピュータユーザーとその利用目的は良くも悪くも現代のパーソナルコンピュータを使うユーザーの指向および利用目的とはまったく違う。勿論マウスに期待するところも違うだろう。
このいま感じる認識のズレはゼロックスやARC、あるいはエンゲルバートらのように他に類を見ない高い能力を持ってしても超えられない時代の壁だと思う。
そしてラリー・テスラーは続ける。「2ボタンマウスが経験豊かなユーザーには少し有利だとわかったが、それほど大きな違いではなかった。ただしボタンが2つあるとビギナーはそればかり見ていた。ボタンがひとつだとすぐに適応できた。我々は半時間以内にシステム全体を覚えることが出来るようにするという強い目標があったし、マウスに対する不安を解消するだけに20分もの時間を使うわけにはいかなかった」と...。
そうした経緯もあり、ラリー・テスラーがPARCからAppleに移籍しLisaのユーザーインターフェースチームを率い、後にMacintoshの設計を補助する課程でAppleのマウスは1ボタンになった。
マウスボタンの数に関する論争はすでにそうなりつつあるが...ボタンの数をユーザーが自由にカスタマイズできることが求められると共に「マウスボタンはいくつが良いか」といった話は昔話になるのかも知れない。
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先般Apple Wireless Mighty Mouseが登場したとき「シッポが取れたマウス...」という類の取り上げ方が見受けられ、あらためてマウスってどっちが頭なのか...という話も出てきた(笑)。そして最近はAppleのマウスも副ボタン、すなわち右ボタンの利用をサポートしたこともあり、以前のように「ワンボタンとツーボタンのどちらが良いか」といった議論も聞かなくなった。

※Thierry Bardini著「Bootstrapping」表紙
さて、マウスは1960年代後半から1970年代にSRI(スタンフォード研究時)のARC(オーグメンテーションリサーチセンター)にいたダグラス・C・エンゲルバートにより発明された。そしてその命名はまさしくネズミのような形状をしていたからだと言われている。
しかし現在のマウスの形を見るなら、どうしてもボタンのある方が頭に見える。かといって頭からシッポが出ているはずはないとも思う(笑)。どうにも混乱してしまう...。
その疑問について開発者のエンゲルバート自身いわく「最初に製作したマウスは接続コードが後ろから出ていた」そうだからまさしくネズミそのものだったのである。ただしそれではコードが邪魔になるとすぐに気づいて前から出るように変えたらしい...。
確かに1970年のマウスに関するオリジナル特許の図解を見る限りでもマウスのコードは手前に出ている! なるほど...それなら納得だ

※1970年にダグラス・C・エンゲルバートの名で申請されたマウスに関するオリジナル特許の図解(部分)。確かにコードは手前から出ている
勿論エンゲルバートたちはマウスだけに拘ったわけではなかった。彼らは最も効率の良い最善のポインティングデバイスを探していたわけだ。例えば彼は右手にマウス、そして左手はピアノの鍵盤のような5つのキーを持つ「コードキーセット」が有用であると主張し、これは後にアラン・ケイたちにより実現されたSmalltalkならびに暫定ダイナブックのAltoでも使われた。しかしご承知のようにこの「コードキーセット」は現在ほとんど忘れ去られている。
※Altoとその周辺機器。キーボード右手前にあるのがコードキーセット。左にあるのが3つボタンマウス
同時にエンゲルバートは「膝によるコントロール」も考えていた。これはポインタ移動の装置を机の下に取り付け、ユーザーの膝の動きでコントロールするもので、膝を左右ならびに上下に動かすことでカーソルを制御するものだった。テストではマウスよりわずかの差で成績がよかったという。
この膝による制御は操作から両手が自由なるという最大の利点があった。しかし当初からこのデバイスが将来普及することには難色があったようだ。想像するに装置が大げさでなるからではないか。
そして他にもヘッドマウント・ディスプレイとか背中マウス、足マウスなどの案もテストされたという。ヘッドマウントといえば初期のMacintosh用として「VCS」という、キーボードから手を離さずにヘッドセットに装備したセンサーで頭の動きを察知してカーソルをコントロールする製品も登場したことがある

※1986年当時のMacintosh用ヘッドセットによるカーソルコントロール装置「VCS」広告
1966年にエンゲルバートらはNASAから得た資金でさまざまな装置を使った場合の作業時間を測ったという。例えばコンピュータで画面上のランダムな位置にオブジェクトを表示させ、カーソルを別の位置からオブジェクトまで動かすのに要する時間を測定した。この実験でマウスがライトペンなど他の装置よりも性能がよいことはすぐに明らかになったという。
しかしPARC(ゼロックス・パロアルト研究所)から後にApple Computer社に移ったラリー・テスラーによれば、彼自身最初の頃はマウスの効用を信じていなかったという。カーソルキーの方がずっと良いと思っていたそうだがコンピュータを見たことがない人たちをテスターとして使い、カーソルキーの利便性を教えた後にマウスを見せ「カーソルキーの方がマウスより速くテキストを選択できることを証明しようとした」という。しかしそれは裏目に出て、2分もすると彼らはカーソルキーを二度と触らなくなりマウス一辺倒になった。
こうしてパーソナルコンピュータにとってのポインティングデバイスはマウスが脚光を浴びることになるが、勿論その引き金は AppleのLisaでありMacintoshだった。

※Macintosh 128KからPlusまでをサポートした最初期マウス
さて次はマウスボタンの数の問題に話を移そう...。
ARCでは最初からボタンの数を大した問題とは考えていなかったらしい。当初は前記した「コードキーセット」にちなんでか、5つ程度のボタンを考えていたようだが予備テストの結果でボタンは3つになった。その理由をエンゲルバートは「...よく聞かれるよ。それしかつけられなかったからで、つける余地がそれしかなかった」と言っている。そもそもが単純な話なのだ(笑)。
マウスのボタンの数について、どうでもよいことだと考える人がいる一方でパソコンの歴史の初期からさまざまな議論がかわされてきた。あのマイクロソフトのビル・ゲイツも「マウスにつけるボタンの数はこの業界で最も議論を呼ぶ問題のひとつだ。みんなが宗教的になってしまう」と発言しているという。
ゼロックスのXDSチームにいたディブ・スミスは「...マウスをテストし、ボタンひとつでは十分でないことを見つけた。問題は複数の選択やテキストの広い範囲を選択する時だった。例えばマウスドラッグは普通の人にはとにかく難しい。慣れることは出来るがそれは自然な動作ではない」という意見を持っていた。
結局マイクロソフトマウスなどがそうであったように、一般的には左右の2ボタンマウスが普及することになったが同じくディブ・スミスなどの発言から察するに、2つボタンの採用はボタンひとつでは難しい操作が第二のボタンがあればやりやすくなるという試行錯誤の結果であると思われる。これはある意味「無いよりは有った方が良い」的な良くある発想にも思える。
しかし私見だがこの辺の事情はマウスのボタン数だけに拘ったテストを重ねただけでは事の本質には迫ることはできないと思われる。なぜならMacintosh 128Kが登場したとき、それまでマウスを使ったことのない多くの人たちが何の苦もなくそのワンボタンマウスを使いこなした。
私自身の事情は多少異なるが、その数ヶ月前からNEC PC-100に付属していたマイクロソフト・マウス(2つボタン)を使っていたにもかかわらずMacintoshの1ボタンマウスの操作性の良さに驚愕した思い出がある。
※1984年 NEC PC-100に付属していた2ボタン式のマイクロソフトマウス
そう...ここにはOSを含むソフトウェア・インターフェースの違いについては触れていない。確かに大変難しいことではあるが、ソフトウェアによるいわゆるGUIの出来不出来をも考慮に入れ、意味論的にもそして我々人間の認知プロセスに関する部分まで踏み込んだ比較をしなければ本来比較の意味がないと思う。
ゼロックスやARCに喧嘩を売るつもりはないが(笑)、1960年代から1970年代の当時のコンピュータユーザーとその利用目的は良くも悪くも現代のパーソナルコンピュータを使うユーザーの指向および利用目的とはまったく違う。勿論マウスに期待するところも違うだろう。
このいま感じる認識のズレはゼロックスやARC、あるいはエンゲルバートらのように他に類を見ない高い能力を持ってしても超えられない時代の壁だと思う。
そしてラリー・テスラーは続ける。「2ボタンマウスが経験豊かなユーザーには少し有利だとわかったが、それほど大きな違いではなかった。ただしボタンが2つあるとビギナーはそればかり見ていた。ボタンがひとつだとすぐに適応できた。我々は半時間以内にシステム全体を覚えることが出来るようにするという強い目標があったし、マウスに対する不安を解消するだけに20分もの時間を使うわけにはいかなかった」と...。
そうした経緯もあり、ラリー・テスラーがPARCからAppleに移籍しLisaのユーザーインターフェースチームを率い、後にMacintoshの設計を補助する課程でAppleのマウスは1ボタンになった。
マウスボタンの数に関する論争はすでにそうなりつつあるが...ボタンの数をユーザーが自由にカスタマイズできることが求められると共に「マウスボタンはいくつが良いか」といった話は昔話になるのかも知れない。
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自分の肖像画と向かい合いことは特別のことだ!
2006/08/14 20:08
mixiなどに使っている自身のプロフィール紹介用の肖像をご覧になって「あれは何で描いたのか?」というご質問をいただくことがある。実はこれ、プロのイラストレータさんにお願いして特注した「肖像画」なんである。
■肖像画考
美術館に出向けば、肖像画の類を山ほど見ることができる。多くの画家が自画像をも含めた多彩な肖像画を残しているからだ。私にはすぐにあのレオナルド・ダ・ビンチの名品「モナリザ」やゴッホの自画像などが思い出されるがルノアールのいくつかの少女を描いた作品も肖像画の部類である。
※ゴッホが自らすすんで入院した精神病院で描いた最後の自画像(1889年)。パリ、オルセー美術館蔵
ルノアールの肖像画といえば鮮明な思い出がある。ボストン美術館に行ったときのことだが、初老の女性がルノアール作品の前で模写をしているところを通りかかった。向こうの美術館では事前に許可を受けているのだろうが、日本の多くの美術館とは違い、模写や写真を撮ることに寛容なところがある。事実幼稚園児らしき子供の集団が館内の一郭で先生と一緒に絵を描いている光景に出会うこともあった。
私は模写をしている女性の後ろに回りこんだが、それはルノアールの少女像のひとつを非常に上手く模写しているところだった。
模写とは面白いもので本物の絵がそこにあるにも関わらず興味は模写の方に向く
。私がなぜこのとき模写している女性が気になったのかといえば、若いときに随分とモナリザなどの模写を試み、その結論として模写は肖像画が一番難しいと感じていたからだ。
しばらく感心しながらその絵を見ていたら、女性は微笑みながら私の方に振り向き「美術館に来ているのだから、模写なんか見ていないでオリジナルを見なさい」とたしなめた
。
さて肖像画は宗教画におけるキリスト像みたいに、描く側が対象を崇めて制作することがある。しかし現代のように写真が発明されていなかった時代においては権力者たちがこぞって自分の姿を残しておきたいと考え、肖像画や肖像彫刻を作らせたのが動機ではないだろうか。
この「自分の姿を記録として残しておきたい」という願望には深層心理的にも興味のあるところだが、一番の動機はといえばやはり自己顕示欲なのであろうか。もう少し優しい見方をすれば「自分がこの世の中に生きた証(あかし)」を残しておきたいというある意味では至極当然の欲求なのかも知れない。
■肖像画の面白さ
私の個人的な趣向からいえば抽象・具象画を問わず、一般的にいう風景画は好みでない。そこにある森・山・海・建物がどれだけ印象的であっても「絵に残す事でもない」という気がするのだ
。その点肖像画は違う。ウマイ画家・芸術家の手になると写真以上にその肖像の対象者の性格や人生の轍を引っ張り出すような迫力を感じ、写される人と写す人それぞれの人間模様を感じずにはいられない。
そうした画家の代表格がスペインの巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤである。彼は宮廷画家として多くの絵を残しその中にはパトロンの肖像をいくつも描いたが「このような絵でクライアントはOKを出したのだろうか」と勘ぐりたくなるようなリアルというか強烈な作品も多い。彼は依頼主に好まれるであろう綺麗な絵ばかりでなく、人の醜い面をも描き出そうとした。
肖像画を依頼する方には描く方とはまた違う思いがある。事実は事実としても「なるべく良く描いて欲しい」という願望が常に存在する。しかしゴヤが描いた人たちには心の底をのぞき込み、醜い部分を引き出したような絵があるのだ。私だったらこれでは金を払わないと思うほどの作品もある。
写真がそうであるように、人の顔・表情というものはその一瞬一瞬で違うし見る角度や照明の当て方などで大いに違ってくるものだ。例えばどのような不男でも似せながらも美しく描くことはできるしそれがある意味ではプロというものであろう。しかしゴヤの肖像画の中には露骨と思うほどの肖像画があるのが興味深い。
■私の肖像画
さて2001年のことだがちょっとした嬉しい出会いがあり、私自身の肖像画を描いていただく機会を得た。
当時Mac Japan(技術評論社刊)で連載をしてた「松田純一の好物学」のイラストを担当してくだっていたイラストレータの「かたおかしゅうぞう」さんのホームページを偶然に発見したのがきっかけであった。
Mac Japan誌のイラストは私が考える「好物学」のイメージ、そして私の趣味趣向を大変よく描いていると気に入っていた。ただしそこに描かれた私の姿...イラストを自分で眺めるとそれはそれで複雑な気持ちであり「俺はもう少しいい男だろうが...」とつぶやきたくなる。しかし女房などは「そっくり!」と面白がる(笑)。
これまで雑誌や書籍の企画などで写真を撮っていただいたことは多々あるが肖像画を望んだことはまったくなかった。もちろん街中の画材店やインターネットなどで肖像画を描いてくれるサービスがあることは良く知っているが自分のこととなるとまったく念頭になかったといえる。しかしいまでは人間だけではなく、ペットの肖像画を描いてくれるところもあるほどそうした需要は多いようだ。
かたおかさんのホームページをのぞいたわけだが、その作品は主としてAdobe社のIllustratorで描いているという。その時はちょうどクリスマスの時期であったこともあり、キリスト誕生の場面である「ベツレヘムの馬小屋」という作品がそのトップページにあった。その暖かく夢がある絵を見ていて急に「あらためてこの人に自分の肖像を描いてもらいたい」という欲求がひらめいたのだった。
うまく説明できるとは思わないが、肖像画をと考えた場合、似せることだけを意図するのであれば描いてくれる人は沢山いる。ただしあらためて写真のような肖像を描いてもらうようなことは私にとってつまらないことのように思えたのだ。
ともあれ、かたおかさんは私の依頼を「こうしたご依頼は受けたことがないのですが...」といいながらも快諾してくださったので早速数枚の写真をお送りして正式に作品つくりをお願いした。
結局、肖像画はタキシードの正装姿と一般的なビジネススーツを着たもの二種を描いてくださった。
※CD-Rで納品いただいた肖像画データを大きくプリントして額に入れてある。私の宝のひとつである(笑)
いうまでもなくMacintoshとIllustratorで描き出された作品は油絵や水彩などによる肖像とそのテクスチャーはまったく違う。そして背景には私の多趣味というか何にでも興味を持つことを象徴したかのように多彩なアイテムが描かれている。これは嬉しい......(笑)。
私が興味持った点は肖像画が本人にどれだけ似ているかということだけではない。写真とはいえ、作家(かたおかさん)がそれを見てどんなことを感じ、それをどのようにグラフィックツール上に構成していったかが一番知りたいところなのだ。
このタキシードで正装した私の姿は私そのものではないかも知れないが肖像画をお願いした私とその依頼を正面から取り組んでくださったイラストレータとの合作がこの作品だという気がする。
※Adobeのイラストレータで2種類の肖像画を描いていただいた(2001年)
■エピローグ
当時初めて自分の肖像画を依頼したことでひとつ発見したことがある。私はこれまで肖像画といえば描く画家の方からのみが興味の対象だったし物事をそうした面からのみ考えていた。これは多くの人にとっても同様だと思う。しかしそもそも自分の姿を描いてもらいたいと依頼するモデル...当人側にも大変興味深い心理がいろいろと働くことに気がついたのだ。
先にも書いた「良く描いて欲しい」などと考えるのは当然としてもやはり何故、いま、この時に自分の姿を残したいと思ったのか......。
中世の貴族達にとっては単なる暇つぶしだったのかとも思えるがことはそうそう単純なことばかりではないだろう。
では私自身どのような気持ちの動きがあったのか。実は肖像画の依頼をお願いした直後の2001年早々に生まれて初めてドクターストップがかかり、二週間の入院を余儀なくされた。自覚症状などはまったくなかったものの、心の奥底から発していた何らかのシグナルがこの肖像画をお願いするきっかけを作ったのかも知れないと今では考えている
。ま、別の言葉で言えば「やきが回った」のかも知れない(笑)。
ともかくパソコン、コンピュータの世界に足をつっこんで早29年、そしてAppleの世界にどっぷりと浸かってから24年ほどになる。そのデジタルな時間を文字通り駆け足で走ってきたひとりとしていまMacintoshとIllustratorというある意味時代の最先端ツールで自身の姿を制作していただいたことは自分にとって大きな意義があるような気がするのだ。
実は先般、別のイラストレータの方にお目にかかる機会があり、その方に「似顔絵」作成をお願いしたばかりである。私にとって今度のコンセプトは遊び心を持った似顔絵であり決して肖像画ではないつもりだが、さてその経緯と仕上がりについては別途ご紹介したいと思う
。
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■肖像画考
美術館に出向けば、肖像画の類を山ほど見ることができる。多くの画家が自画像をも含めた多彩な肖像画を残しているからだ。私にはすぐにあのレオナルド・ダ・ビンチの名品「モナリザ」やゴッホの自画像などが思い出されるがルノアールのいくつかの少女を描いた作品も肖像画の部類である。
※ゴッホが自らすすんで入院した精神病院で描いた最後の自画像(1889年)。パリ、オルセー美術館蔵
ルノアールの肖像画といえば鮮明な思い出がある。ボストン美術館に行ったときのことだが、初老の女性がルノアール作品の前で模写をしているところを通りかかった。向こうの美術館では事前に許可を受けているのだろうが、日本の多くの美術館とは違い、模写や写真を撮ることに寛容なところがある。事実幼稚園児らしき子供の集団が館内の一郭で先生と一緒に絵を描いている光景に出会うこともあった。
私は模写をしている女性の後ろに回りこんだが、それはルノアールの少女像のひとつを非常に上手く模写しているところだった。
模写とは面白いもので本物の絵がそこにあるにも関わらず興味は模写の方に向く
しばらく感心しながらその絵を見ていたら、女性は微笑みながら私の方に振り向き「美術館に来ているのだから、模写なんか見ていないでオリジナルを見なさい」とたしなめた
さて肖像画は宗教画におけるキリスト像みたいに、描く側が対象を崇めて制作することがある。しかし現代のように写真が発明されていなかった時代においては権力者たちがこぞって自分の姿を残しておきたいと考え、肖像画や肖像彫刻を作らせたのが動機ではないだろうか。
この「自分の姿を記録として残しておきたい」という願望には深層心理的にも興味のあるところだが、一番の動機はといえばやはり自己顕示欲なのであろうか。もう少し優しい見方をすれば「自分がこの世の中に生きた証(あかし)」を残しておきたいというある意味では至極当然の欲求なのかも知れない。
■肖像画の面白さ
私の個人的な趣向からいえば抽象・具象画を問わず、一般的にいう風景画は好みでない。そこにある森・山・海・建物がどれだけ印象的であっても「絵に残す事でもない」という気がするのだ
そうした画家の代表格がスペインの巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤである。彼は宮廷画家として多くの絵を残しその中にはパトロンの肖像をいくつも描いたが「このような絵でクライアントはOKを出したのだろうか」と勘ぐりたくなるようなリアルというか強烈な作品も多い。彼は依頼主に好まれるであろう綺麗な絵ばかりでなく、人の醜い面をも描き出そうとした。
肖像画を依頼する方には描く方とはまた違う思いがある。事実は事実としても「なるべく良く描いて欲しい」という願望が常に存在する。しかしゴヤが描いた人たちには心の底をのぞき込み、醜い部分を引き出したような絵があるのだ。私だったらこれでは金を払わないと思うほどの作品もある。
写真がそうであるように、人の顔・表情というものはその一瞬一瞬で違うし見る角度や照明の当て方などで大いに違ってくるものだ。例えばどのような不男でも似せながらも美しく描くことはできるしそれがある意味ではプロというものであろう。しかしゴヤの肖像画の中には露骨と思うほどの肖像画があるのが興味深い。
■私の肖像画
さて2001年のことだがちょっとした嬉しい出会いがあり、私自身の肖像画を描いていただく機会を得た。
当時Mac Japan(技術評論社刊)で連載をしてた「松田純一の好物学」のイラストを担当してくだっていたイラストレータの「かたおかしゅうぞう」さんのホームページを偶然に発見したのがきっかけであった。
Mac Japan誌のイラストは私が考える「好物学」のイメージ、そして私の趣味趣向を大変よく描いていると気に入っていた。ただしそこに描かれた私の姿...イラストを自分で眺めるとそれはそれで複雑な気持ちであり「俺はもう少しいい男だろうが...」とつぶやきたくなる。しかし女房などは「そっくり!」と面白がる(笑)。
これまで雑誌や書籍の企画などで写真を撮っていただいたことは多々あるが肖像画を望んだことはまったくなかった。もちろん街中の画材店やインターネットなどで肖像画を描いてくれるサービスがあることは良く知っているが自分のこととなるとまったく念頭になかったといえる。しかしいまでは人間だけではなく、ペットの肖像画を描いてくれるところもあるほどそうした需要は多いようだ。
かたおかさんのホームページをのぞいたわけだが、その作品は主としてAdobe社のIllustratorで描いているという。その時はちょうどクリスマスの時期であったこともあり、キリスト誕生の場面である「ベツレヘムの馬小屋」という作品がそのトップページにあった。その暖かく夢がある絵を見ていて急に「あらためてこの人に自分の肖像を描いてもらいたい」という欲求がひらめいたのだった。
うまく説明できるとは思わないが、肖像画をと考えた場合、似せることだけを意図するのであれば描いてくれる人は沢山いる。ただしあらためて写真のような肖像を描いてもらうようなことは私にとってつまらないことのように思えたのだ。
ともあれ、かたおかさんは私の依頼を「こうしたご依頼は受けたことがないのですが...」といいながらも快諾してくださったので早速数枚の写真をお送りして正式に作品つくりをお願いした。
結局、肖像画はタキシードの正装姿と一般的なビジネススーツを着たもの二種を描いてくださった。
※CD-Rで納品いただいた肖像画データを大きくプリントして額に入れてある。私の宝のひとつである(笑)
いうまでもなくMacintoshとIllustratorで描き出された作品は油絵や水彩などによる肖像とそのテクスチャーはまったく違う。そして背景には私の多趣味というか何にでも興味を持つことを象徴したかのように多彩なアイテムが描かれている。これは嬉しい......(笑)。
私が興味持った点は肖像画が本人にどれだけ似ているかということだけではない。写真とはいえ、作家(かたおかさん)がそれを見てどんなことを感じ、それをどのようにグラフィックツール上に構成していったかが一番知りたいところなのだ。
このタキシードで正装した私の姿は私そのものではないかも知れないが肖像画をお願いした私とその依頼を正面から取り組んでくださったイラストレータとの合作がこの作品だという気がする。
※Adobeのイラストレータで2種類の肖像画を描いていただいた(2001年)
■エピローグ
当時初めて自分の肖像画を依頼したことでひとつ発見したことがある。私はこれまで肖像画といえば描く画家の方からのみが興味の対象だったし物事をそうした面からのみ考えていた。これは多くの人にとっても同様だと思う。しかしそもそも自分の姿を描いてもらいたいと依頼するモデル...当人側にも大変興味深い心理がいろいろと働くことに気がついたのだ。
先にも書いた「良く描いて欲しい」などと考えるのは当然としてもやはり何故、いま、この時に自分の姿を残したいと思ったのか......。
中世の貴族達にとっては単なる暇つぶしだったのかとも思えるがことはそうそう単純なことばかりではないだろう。
では私自身どのような気持ちの動きがあったのか。実は肖像画の依頼をお願いした直後の2001年早々に生まれて初めてドクターストップがかかり、二週間の入院を余儀なくされた。自覚症状などはまったくなかったものの、心の奥底から発していた何らかのシグナルがこの肖像画をお願いするきっかけを作ったのかも知れないと今では考えている
ともかくパソコン、コンピュータの世界に足をつっこんで早29年、そしてAppleの世界にどっぷりと浸かってから24年ほどになる。そのデジタルな時間を文字通り駆け足で走ってきたひとりとしていまMacintoshとIllustratorというある意味時代の最先端ツールで自身の姿を制作していただいたことは自分にとって大きな意義があるような気がするのだ。
実は先般、別のイラストレータの方にお目にかかる機会があり、その方に「似顔絵」作成をお願いしたばかりである。私にとって今度のコンセプトは遊び心を持った似顔絵であり決して肖像画ではないつもりだが、さてその経緯と仕上がりについては別途ご紹介したいと思う
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WWDC 2006 基調講演の素直な感想!
2006/08/09 05:43
期待は大きいほど裏切られる(笑)。今年もさまざまな憶測や期待を受けて開催されたWWDC
2006基調講演だがMac
ProとIntel版Xserveは登場したがiPodやiPhoneの話は何にもなかった...。
まあこの場はWWDCでありMacWorld Expoの場ではないから後付の意見ではあるがこんなものなのだろうと思うしかない...。1時間半ほどの基調講演だったがちょっと気になったのは冒頭でスティーブ・ジョブズ氏が「休暇を取らせて欲しい...」といった主旨の発言をしたようだ。
単なるバケーションならともかく、壇上のジョブズ氏は心なしか痩せて見えたので少々心配である。また昨年はゲストを除き、ほぼ一人でプレゼンテーションを行ったが今回はセクション毎にフィル・シラー氏を始めとして3人のエグゼクティブにセッションを任している。
※WWDC 2006の基調講演で壇上に上がったスティーブ・ジョブズ氏
さて本題だが、Leopardの正式リリースを来春とした発表には少々驚いた。せめて今年中ではないかと思っていたのだが...。ともあれ世界各国からWWDCまで出向いたデベロッパーたちにプレビュー版が配られたようだが以前から「Vistaの出荷よりは先に...」というニュアンスがあっただけに参加者たちにも不満が残ったのではないか。
そもそも例年は6月頃に開催することが多かったWWDCがなぜ8月になったのか。それはLeopardのプレビューを見せ、いち早いリリースを発表したいがために時期を遅らせたのではなかったか(勝手な推測だけど)。本当のところはまだまだ全体的な構成がまとまっていないのかも知れない...。それにVistaに真似されないようにといった発言もあったようだが、では今回紹介されたトップシークレット10個はVistaに対して警戒する価値のないものなのか...(笑)。
WWDCは開発者の集まる場であるからしてVistaとの比較や競合をコケにするネタは面白いかも知れないが、参加者の中にはかなりのパーセンテージでVista側の開発も行っているプログラマやデベロッパーもいるはずだ。だからそうしたパフォーマンスは些か冴えないプレゼンテーションに思えた。ジョブズ氏自身が過去に発言したようにすでにAppleとMicrosoftが対立する時代ではないのだ。どうでもいいではないか...Vistaがどうしたという話は
。
私はWWDCの意義やそこで行われる数々のセッションの有用性に疑問を呈するものではない。しかし航空運賃の一番高いこの時期にわざわざ高い金を払って参加したデベロッパー達にはもう少しサプライズがあってしかるべきではないかとも思う。
くどいようだが正式リリースがまだまだ先の来年の春なら、8月ではなく例年通り航空運賃やホテルの宿泊料金が安い時期に開催するくらいの気遣いはしてほしいと思うのだが...。Appleは今回最多の参加者だと豪語しているが、そのデベロッパの多くは楽々と物見遊山で参加できているわけではない。無理をして予算取りに苦労して参加している方々も多いのだ。そして大企業の技術者はともかくこの世界には個人あるいはそれに近いデベロッパも沢山いる。
事実高くて行けないと今回のWWDC参加を見合わせたデベロッパーたちを私は知っている。
そのMac OS X 10.5 Leopardだが今回の発表で一番面白かったのは「Time Machine」と名付けられた新しいバックアップ機能だ。簡単にファイルを時系列的に戻したい時に戻せるらしい...。後「Space」というバーチャルデスクトップやMailのテンプレート機能やTo-Do機能も実用性がありそうだ。
また、もしかしたらアップルが仮想化技術をLeopardに実装するのではないかと期待されたBoot Campも新しいニュースはなくLeopardと一緒に正式版が提供されることになるという。
ということで、結局ハードウェアの新製品発表はMac ProとXserveだけだった。
そのMac Proだが3GHzのプロセッサなら、Power Mac G5 Quadの最大2倍のスピードが実現するという。この史上最速マシンのスペックをユーザーが体現するには当然のことそれに最適化したOSとアプリケーションが必須である。Mac Proは即日発売が開始されたが、個人的にはこれまでにも主張してきたように常用の3Dアプリケーションたちのユニバーサル化を確認するまでは現行の愛機Power Mac G5 /2.5GHz Quadを超えるパフォーマンスは期待できない。
※Mac ProおよびXserveのCPUは "Xeon"であった
MacBookならともかく、最上位機種の最速マシンであるMac Proでロゼッタを介してシコシコとアプリを動かすなど、ジョーク以外の何ものでもない(爆)。
それからMac Proの筐体デザインは基本的にこれまでと同じものだったが基調講演のスピーチのとおり中身はまったく違ったものであり、そこかしこに魅力を感じる。スピードを別にすれば一番の魅力はハードディスクを最大4台内蔵できることだ。また「電力消費のパフォーマンスは最高」といった話もあったがカタログ仕様では現行のQuadと変わりはないようだが、この変はもう少し情報をしっかりと集めてみたい。
まあこれでAppleが公約したスケジュールより短くすべてのラインナップをインテルプロセッサ化できたことは評価すべきだ。事実大変な仕事であったに違いない。
ともあれ私の場合、現実にMac Pro購入を考えるのは現時点では早計であり、少なくともMac OS X 10.5 "Leopard"がリリースする来春頃に具体的に考えたいと思う。またそれまでにはキーアプリケーションたちのユニバーサル化のスケジュールも見えてくるに違いない。
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まあこの場はWWDCでありMacWorld Expoの場ではないから後付の意見ではあるがこんなものなのだろうと思うしかない...。1時間半ほどの基調講演だったがちょっと気になったのは冒頭でスティーブ・ジョブズ氏が「休暇を取らせて欲しい...」といった主旨の発言をしたようだ。
単なるバケーションならともかく、壇上のジョブズ氏は心なしか痩せて見えたので少々心配である。また昨年はゲストを除き、ほぼ一人でプレゼンテーションを行ったが今回はセクション毎にフィル・シラー氏を始めとして3人のエグゼクティブにセッションを任している。
※WWDC 2006の基調講演で壇上に上がったスティーブ・ジョブズ氏
さて本題だが、Leopardの正式リリースを来春とした発表には少々驚いた。せめて今年中ではないかと思っていたのだが...。ともあれ世界各国からWWDCまで出向いたデベロッパーたちにプレビュー版が配られたようだが以前から「Vistaの出荷よりは先に...」というニュアンスがあっただけに参加者たちにも不満が残ったのではないか。
そもそも例年は6月頃に開催することが多かったWWDCがなぜ8月になったのか。それはLeopardのプレビューを見せ、いち早いリリースを発表したいがために時期を遅らせたのではなかったか(勝手な推測だけど)。本当のところはまだまだ全体的な構成がまとまっていないのかも知れない...。それにVistaに真似されないようにといった発言もあったようだが、では今回紹介されたトップシークレット10個はVistaに対して警戒する価値のないものなのか...(笑)。
WWDCは開発者の集まる場であるからしてVistaとの比較や競合をコケにするネタは面白いかも知れないが、参加者の中にはかなりのパーセンテージでVista側の開発も行っているプログラマやデベロッパーもいるはずだ。だからそうしたパフォーマンスは些か冴えないプレゼンテーションに思えた。ジョブズ氏自身が過去に発言したようにすでにAppleとMicrosoftが対立する時代ではないのだ。どうでもいいではないか...Vistaがどうしたという話は
私はWWDCの意義やそこで行われる数々のセッションの有用性に疑問を呈するものではない。しかし航空運賃の一番高いこの時期にわざわざ高い金を払って参加したデベロッパー達にはもう少しサプライズがあってしかるべきではないかとも思う。
くどいようだが正式リリースがまだまだ先の来年の春なら、8月ではなく例年通り航空運賃やホテルの宿泊料金が安い時期に開催するくらいの気遣いはしてほしいと思うのだが...。Appleは今回最多の参加者だと豪語しているが、そのデベロッパの多くは楽々と物見遊山で参加できているわけではない。無理をして予算取りに苦労して参加している方々も多いのだ。そして大企業の技術者はともかくこの世界には個人あるいはそれに近いデベロッパも沢山いる。
事実高くて行けないと今回のWWDC参加を見合わせたデベロッパーたちを私は知っている。
そのMac OS X 10.5 Leopardだが今回の発表で一番面白かったのは「Time Machine」と名付けられた新しいバックアップ機能だ。簡単にファイルを時系列的に戻したい時に戻せるらしい...。後「Space」というバーチャルデスクトップやMailのテンプレート機能やTo-Do機能も実用性がありそうだ。
また、もしかしたらアップルが仮想化技術をLeopardに実装するのではないかと期待されたBoot Campも新しいニュースはなくLeopardと一緒に正式版が提供されることになるという。
ということで、結局ハードウェアの新製品発表はMac ProとXserveだけだった。
そのMac Proだが3GHzのプロセッサなら、Power Mac G5 Quadの最大2倍のスピードが実現するという。この史上最速マシンのスペックをユーザーが体現するには当然のことそれに最適化したOSとアプリケーションが必須である。Mac Proは即日発売が開始されたが、個人的にはこれまでにも主張してきたように常用の3Dアプリケーションたちのユニバーサル化を確認するまでは現行の愛機Power Mac G5 /2.5GHz Quadを超えるパフォーマンスは期待できない。
※Mac ProおよびXserveのCPUは "Xeon"であった
MacBookならともかく、最上位機種の最速マシンであるMac Proでロゼッタを介してシコシコとアプリを動かすなど、ジョーク以外の何ものでもない(爆)。
それからMac Proの筐体デザインは基本的にこれまでと同じものだったが基調講演のスピーチのとおり中身はまったく違ったものであり、そこかしこに魅力を感じる。スピードを別にすれば一番の魅力はハードディスクを最大4台内蔵できることだ。また「電力消費のパフォーマンスは最高」といった話もあったがカタログ仕様では現行のQuadと変わりはないようだが、この変はもう少し情報をしっかりと集めてみたい。
まあこれでAppleが公約したスケジュールより短くすべてのラインナップをインテルプロセッサ化できたことは評価すべきだ。事実大変な仕事であったに違いない。
ともあれ私の場合、現実にMac Pro購入を考えるのは現時点では早計であり、少なくともMac OS X 10.5 "Leopard"がリリースする来春頃に具体的に考えたいと思う。またそれまでにはキーアプリケーションたちのユニバーサル化のスケジュールも見えてくるに違いない。
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Leopardを期待してこれまでのMac OS Xパッケージを振り返る
2006/08/07 22:57
いよいよ今年もWWDCが始まりいつものようにスティーブ・ジョブズ氏の基調講演でさまざまな新製品が登場するに違いない。Power
Mac
G5の後継インテルマシンが出るかも知れないし新しいiPodも顔を見せるかも...。しかし何と言っても待ち遠しいのはMac
OS X 10.5 Leopardだ。というわけで手元にあるこれまでのMac OS
Xパッケージを並べてみた。
2000年10月、新宿の高島屋に長蛇の列ができた。Mac OS X Public Betaが販売されたからだ。待ちに待ったAppleの最新OSをいち早く体験しようとお祭り気分の我々はパッケージを手にするまで2時間弱ほども並んだ...。
なぜ高島屋だったのか。そう...この時代はまだApple Store Ginzaはなかったのだ。
Mac OS X Public Betaはいわゆるアクア(Aqua)調のインターフェースが特徴だったがまだまだ速度が遅いことやそれまでのMac OSと比較して違和感を覚える部分があったりと不満も多かったがともかくMac OS 9の路線とはまったく違うAppleの歴史の中で最大の産みの苦しみを味わったニュー OSが登場したのだ。
※右からMac OS X Public Beta、Jaguar、Panther、そしてTigerの各パッケージ
2002年8月、開発コード名に「Jaguar」という名がついたMacOS X 10.2が登場する。グラフィックス描画エンジン「Quartz Extreme」搭載をはじめ「iCal」や「iChat」そして「iSync」などが同梱された。そして「Rendezvous(現在はVonjourに名称変更された)」が搭載されたのは記憶に新しい。
パッケージの”X”にはジャガーの柄がマッピングされていた。
2003年10月、MacOS X 10.3(Panther)がリリースされる。コードネームには「Jaguar」に続く猫科の"ヒョウ"の名が使われ、この路線でこの後もコードネームが使われることを示唆したが、OSとしては完成度の高いバージョンでありMac OS Xもやっとここまで来たかと感じた。「Expose」や「ファストユーザスイッチ」が印象的だった。
150種類以上の革新的な新機能が搭載されていることを売り物にしたこのパッケージはそれまでとは違い真っ黒の箱にシルバー調の"X"が光るものとなった。
現在のMac OS X 10.4 (Tiger)のリリースは2005年4月だった。メタデータを使った高速ファイル検索システム「Spotlight」や「Automator」「DashBoard」が搭載された。
パッケージはPantherのを踏襲した感じだが"X"のデザインがシンプルになり、Spotlightをイメージしたのか"X"の中央にスポットライトが当たったようなデザインになった。
さてもう数時間でそのプレビューが明かされるであろうMac OS X 10.5 Leopardはどんな新機能を有しているのだろうか。楽しみである。
※昨年のWWDCで「次のOSコードネームはLeopardだ」と発表するスティーブ。ジョブズ氏
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2000年10月、新宿の高島屋に長蛇の列ができた。Mac OS X Public Betaが販売されたからだ。待ちに待ったAppleの最新OSをいち早く体験しようとお祭り気分の我々はパッケージを手にするまで2時間弱ほども並んだ...。
なぜ高島屋だったのか。そう...この時代はまだApple Store Ginzaはなかったのだ。
Mac OS X Public Betaはいわゆるアクア(Aqua)調のインターフェースが特徴だったがまだまだ速度が遅いことやそれまでのMac OSと比較して違和感を覚える部分があったりと不満も多かったがともかくMac OS 9の路線とはまったく違うAppleの歴史の中で最大の産みの苦しみを味わったニュー OSが登場したのだ。
※右からMac OS X Public Beta、Jaguar、Panther、そしてTigerの各パッケージ
2002年8月、開発コード名に「Jaguar」という名がついたMacOS X 10.2が登場する。グラフィックス描画エンジン「Quartz Extreme」搭載をはじめ「iCal」や「iChat」そして「iSync」などが同梱された。そして「Rendezvous(現在はVonjourに名称変更された)」が搭載されたのは記憶に新しい。
パッケージの”X”にはジャガーの柄がマッピングされていた。
2003年10月、MacOS X 10.3(Panther)がリリースされる。コードネームには「Jaguar」に続く猫科の"ヒョウ"の名が使われ、この路線でこの後もコードネームが使われることを示唆したが、OSとしては完成度の高いバージョンでありMac OS Xもやっとここまで来たかと感じた。「Expose」や「ファストユーザスイッチ」が印象的だった。
150種類以上の革新的な新機能が搭載されていることを売り物にしたこのパッケージはそれまでとは違い真っ黒の箱にシルバー調の"X"が光るものとなった。
現在のMac OS X 10.4 (Tiger)のリリースは2005年4月だった。メタデータを使った高速ファイル検索システム「Spotlight」や「Automator」「DashBoard」が搭載された。
パッケージはPantherのを踏襲した感じだが"X"のデザインがシンプルになり、Spotlightをイメージしたのか"X"の中央にスポットライトが当たったようなデザインになった。
さてもう数時間でそのプレビューが明かされるであろうMac OS X 10.5 Leopardはどんな新機能を有しているのだろうか。楽しみである。
※昨年のWWDCで「次のOSコードネームはLeopardだ」と発表するスティーブ。ジョブズ氏
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3Dを楽しむのに卑近とか高尚の区別などありませんぞ!
2006/08/03 23:17
私のささやかな影響で最近知人のひとりが3D...具体的にいうと3Dキャラクタデザイン&アニメツール「Poser
6」を始めた。その彼が先日「Poserなんてオモチャだ。3Dやるならモデリングからやらなきゃ...」と言われ気落ちしていた...。
この種の話をいまだに根強く信じている人たちがいるのも笑えるが、気落ちした知人ももう少し自分のやっていること...やりたいことに自信を持って欲しいものだ(笑)。
「Poser 6」は3Dの人体フギュアを作り出すアプリケーションだ。そして完成度の高いフギュアは勿論、多義に渡る諸々の3Dオブジェクトデータがダウンロード販売されている。したがってユーザーの多くは自分の頭の中に描くシーンに合う舞台、すなわち風景や建物あるいは街並みや小物などを配置し、適切なカメラアングルと照明を考えた上でレンダリングすればリアルな表現が可能となるわけ...。まあそれすら慣れないと大変だけど...。
無論レンダリングはスチルだけでなくアニメーションも可能で、街並みや建物の中に人物を歩かせたり、ウォークスルーもできる。
※Poser形式のオブジェクトデータをダウンロード販売している主なサイトのひとつ「DAZ Productions」
どうやら...「Poser 6」は有りものを置くだけで(本来は違うが)3Dツールとしてはメチャ簡便だからユーザーは工夫の余地もなく、さらに自分でオブジェクトを作るわけでもないから低レベルの遊びである...と思っている人がいるらしい。まあその人が思っているだけなら大いに勝手だが、他者にそうした考えを押しつけてはいけない。
3Dであろうが2Dであろうが、コンピュータを使う使わないは関係なく多様な表現手段があってよいはずである。そして例えば油絵と切り絵細工と版画に芸術性の上下があるはずもない。表現の手法が違うだけだ。
「Poserなんてオモチャだ。3Dやるならモデリングからやらなきゃ...」とのたまった輩自身がどんな3Dツールを使い、どんなモデリングを実践して説得力のある作品を作っているのか知らないが、是非一度その腕を拝見したいものである(笑)。
はっきり言えること、それはダウンロード販売されている3Dオブジェクトのすべてが優れているわけではないもののその多くはプロが作っているものも多い。したがってそれらの完成度は高く私などがそれに近いモデリングを試みるとすれば膨大な時間を必要とする。そして物事は時間をかければ誰でも十分なものが出来上がるほど容易ではない
。
私も根気と時間があった時代には当時の非力なMacintoshとさまざまな3Dソフトウェアでモデリングを試みたものだが、現在は前記したプロフェッショナルたちが創ったようなモノを一から作り出そうとは思はない(笑)。何しろ完成度の高い作品がすでに多々存在するのだから...。
※街並みから人物および髪型/衣服にいたるまでPoserデータを準備し、最終的にVue 5 Infiniteで構成ならびにレンダリングした一例。慣れているとはいえレンダリングの時間を別にすれば基本的な構成は2,30分もあれば十分だ。確実にいえることはここに登場するオブジェクトを自身でモデリングするなど...考えたくもない(笑)。
ところでご存じの方も多いと思うが、Macintoshのソフトウェア開発会社として老舗で私の尊敬するエーアンドエー社のモットーは「いいものは使おう、ないものは創ろう」である。だからというわけではないがすでに市場にある優れた素材やツールは喜んでありがたく使うべきだ。ごく一部のプロフェッショナルが業務として作品作りに立ち向かう場合はともかく、一般的にはそこに優れた素材があるのにゼロから苦労する必要もないだろう。そしてどうしてもイメージに合わない、あるいは思うようなモノがない場合に自身で創ることを考えればよい。
無論誤解があっては困るがここでの主張はモデリングを否定するものではない。モデリングをやるやらないで差別的な境界線を引いてはならないということを申し上げたいだけである。
したがってモデリングをやらなければ3Dではないとか低俗だということなど決してないし、どのようなアプローチであろうと作品作りそのことが大切なのだと思う。
ところで私がパーソナルコンピュータで3Dを始めたのはすでに23年ほど前になる。3Dを始めた当初は目に入るものすべて「どうやったらこれ...モデリングできるか」という事ばかり考える癖がついた(笑)。そして3Dを実践することで大げさに言えば物事のあり方をきちんと観察して見極めようとする意志が生まれたことこそ有益だと思っている。
簡単にいうなら自然はどのように創られ、構成されているのだろうか...という疑問に常に突き動かされているといった感じが作品作りには重要だと思う。
というわけで私は今後も表現手段のひとつとして「Poser」を愛用していくつもりだ。それにしてもこの「Poser」...ユニバーサルバイナリ化はともかくそろそろマルチCPUをきちんとサポートしてくれないだろうか...
。
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この種の話をいまだに根強く信じている人たちがいるのも笑えるが、気落ちした知人ももう少し自分のやっていること...やりたいことに自信を持って欲しいものだ(笑)。
「Poser 6」は3Dの人体フギュアを作り出すアプリケーションだ。そして完成度の高いフギュアは勿論、多義に渡る諸々の3Dオブジェクトデータがダウンロード販売されている。したがってユーザーの多くは自分の頭の中に描くシーンに合う舞台、すなわち風景や建物あるいは街並みや小物などを配置し、適切なカメラアングルと照明を考えた上でレンダリングすればリアルな表現が可能となるわけ...。まあそれすら慣れないと大変だけど...。
無論レンダリングはスチルだけでなくアニメーションも可能で、街並みや建物の中に人物を歩かせたり、ウォークスルーもできる。
※Poser形式のオブジェクトデータをダウンロード販売している主なサイトのひとつ「DAZ Productions」
どうやら...「Poser 6」は有りものを置くだけで(本来は違うが)3Dツールとしてはメチャ簡便だからユーザーは工夫の余地もなく、さらに自分でオブジェクトを作るわけでもないから低レベルの遊びである...と思っている人がいるらしい。まあその人が思っているだけなら大いに勝手だが、他者にそうした考えを押しつけてはいけない。
3Dであろうが2Dであろうが、コンピュータを使う使わないは関係なく多様な表現手段があってよいはずである。そして例えば油絵と切り絵細工と版画に芸術性の上下があるはずもない。表現の手法が違うだけだ。
「Poserなんてオモチャだ。3Dやるならモデリングからやらなきゃ...」とのたまった輩自身がどんな3Dツールを使い、どんなモデリングを実践して説得力のある作品を作っているのか知らないが、是非一度その腕を拝見したいものである(笑)。
はっきり言えること、それはダウンロード販売されている3Dオブジェクトのすべてが優れているわけではないもののその多くはプロが作っているものも多い。したがってそれらの完成度は高く私などがそれに近いモデリングを試みるとすれば膨大な時間を必要とする。そして物事は時間をかければ誰でも十分なものが出来上がるほど容易ではない
私も根気と時間があった時代には当時の非力なMacintoshとさまざまな3Dソフトウェアでモデリングを試みたものだが、現在は前記したプロフェッショナルたちが創ったようなモノを一から作り出そうとは思はない(笑)。何しろ完成度の高い作品がすでに多々存在するのだから...。
※街並みから人物および髪型/衣服にいたるまでPoserデータを準備し、最終的にVue 5 Infiniteで構成ならびにレンダリングした一例。慣れているとはいえレンダリングの時間を別にすれば基本的な構成は2,30分もあれば十分だ。確実にいえることはここに登場するオブジェクトを自身でモデリングするなど...考えたくもない(笑)。
ところでご存じの方も多いと思うが、Macintoshのソフトウェア開発会社として老舗で私の尊敬するエーアンドエー社のモットーは「いいものは使おう、ないものは創ろう」である。だからというわけではないがすでに市場にある優れた素材やツールは喜んでありがたく使うべきだ。ごく一部のプロフェッショナルが業務として作品作りに立ち向かう場合はともかく、一般的にはそこに優れた素材があるのにゼロから苦労する必要もないだろう。そしてどうしてもイメージに合わない、あるいは思うようなモノがない場合に自身で創ることを考えればよい。
無論誤解があっては困るがここでの主張はモデリングを否定するものではない。モデリングをやるやらないで差別的な境界線を引いてはならないということを申し上げたいだけである。
したがってモデリングをやらなければ3Dではないとか低俗だということなど決してないし、どのようなアプローチであろうと作品作りそのことが大切なのだと思う。
ところで私がパーソナルコンピュータで3Dを始めたのはすでに23年ほど前になる。3Dを始めた当初は目に入るものすべて「どうやったらこれ...モデリングできるか」という事ばかり考える癖がついた(笑)。そして3Dを実践することで大げさに言えば物事のあり方をきちんと観察して見極めようとする意志が生まれたことこそ有益だと思っている。
簡単にいうなら自然はどのように創られ、構成されているのだろうか...という疑問に常に突き動かされているといった感じが作品作りには重要だと思う。
というわけで私は今後も表現手段のひとつとして「Poser」を愛用していくつもりだ。それにしてもこの「Poser」...ユニバーサルバイナリ化はともかくそろそろマルチCPUをきちんとサポートしてくれないだろうか...
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あれ!...昔のマウスの方が使いやすい?
2006/08/01 23:30
Apple Wireless Mighty
Mouseは確かによいが、最初期のマウスなどを比較のために眺めていて気がついたことがある。それはすべてにおいてMighty
Mouseがエルゴノミクスを念頭に入れた最良の製品となるためにはまだまだ改良の余地があるということだ。
少々古い時代のソフトウェアを調べることがあり、Macintosh 128Kに付属していた純正ワンボタンマウスを久しぶりに使った。そのとき安定感と共に妙なというか...使い良さを感じたのである。無論ボール式とレーザー式のいわゆるマウスとしてのトラッキングの良し悪しなどはMighty Mouseの方が良いに決まっているが「あれっ?」と思うほど今となっては無骨なそのワンボタンマウスが手に馴染む気がした...。

※初代Macintosh 128Kなどに付属していたマウス。無論光学式ではなくボール式だ
マウスは基本的に机上で移動させるポインティングデバイスだ。その構造はいまさらであるがトレースの機能部分を内蔵したマウス本体と上面上部にあるべくボタンで構成される。そしてマウスのオペレーションとしては机上でのマウス移動は勿論、マウスボタンをクリックしたり、ドラッグ&ドロップのためにボタンをプレスしながらマウスを移動するといった動作を必要とする。
さてMighty Mouseの登場はWindowsユーザーのスイッチを考慮したのかコンテクストメニューを表示させる右ボタンのサポートなど、これまでのワンボタンとしてだけでなく左右ふたつのボタンをセンサーとして機能させるといった最新の工夫がなされている。
で、皆さんはこのマウス設定のとき右ボタン、すなわち副ボタンを活かしているだろうか?
私は長い間、ワンボタンマウスに慣れてきたこともありコンテクストメニューを出すだけならControlキーを併用すればいいではないかと考えるひとりだ(笑)。そしてなぜ副ボタン、すなわち右ボタンの機能を使わないかといえば「使いづらい」からなのだ。この「使いづらい」はマウスの持ち方と関係すると思われる。
手指の構造上、マウスボタンをクリックするために人差し指を使うとすれば親指と中指でマウス本体を保持することになるだろう。この点Windowsの2ボタンになれた人は文字通りボタンを人差し指と中指で行い、マウス保持は親指と薬指になるはずだ。
※旧式マウスの場合はボタンと本体が完全に分離しているため、本体保持位置の自由度が高くなっている
さてワンボタン派の私は親指と中指でマウスの両サイド、正確にいうならMighty Mouse両サイドにあるボタン位置を押さえつつ人差し指をマウスの上面に這わせば必然的なその位置方向はスクロール・ボタンの右側になる。
※私の場合Mighty Mouseを自然に右手で保持すれば写真のように人差し指はスクロール・ボール、すなわち右ボタン位置にきてしまう
このとき、もし右ボタンである副ボタンを機能させておくと当然のことながら左ボタンの主ボタンを押したことにはならない。したがってイライラする(笑)。
しかしこのとき人差し指をスクロール・ボタンの左側に位置しつづけることは手指の構造上かなり無理があり苦しいものとなる。
※両サイドのボタン位置をしっかり保持したまま、人差し指を左ボタン位置にするのは自然ではない(笑)
これまでAppleが開発したマウスはすべてワンボタン式であった。だからマウスの上部全面がこれボタンです...といった設計になっても、ボタンはどこを押しても良いわけだから何の問題もなかった。しかし右ボタンをサポートするとなれば必然的にマウスそのものの持ち方も変えざるを得ない。
特に致命的なことはマウスボタンを押している際にもし机上やマウスパッドの端にきてしまった場合、ボタンを離さずマウスを移動させるとなれば現在のMighty Mouseは大変やりにくいのだ...。何故ならこのとき当然のことながらマウスは机上やマウスパッドから浮かせて移動しなければならないがボタンに関係ない部分は事実上マウスの両サイドボタン部分のみだから正確にこの部位を保持したままでマウスボタンもプレスしたままにする...といったことをやらなければならない。これは正直大変やりにくい...。
なぜMacintosh 128K時代のマウスを久しぶりに使ったときに安定感と共に「使い良い」と感じたかだが、Mighty Mouseを保持する際に無意識にもかなり手の位置を無理しているからではないかと思いついた...。
まあ、マウスの持ち方ひとつでも人それぞれだし癖やこれまでの経験で大きく違ってくるに違いない。したがって断定的なことは言えないがMighty Mouseはデザインを第一に開発されたように思われてならない。確かにそのシンメトリーの姿は美しいが、真のエルゴノミクスを考慮したマウスに進化する余地を多々残した製品であることをあらためて思い知らされた次第である。
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少々古い時代のソフトウェアを調べることがあり、Macintosh 128Kに付属していた純正ワンボタンマウスを久しぶりに使った。そのとき安定感と共に妙なというか...使い良さを感じたのである。無論ボール式とレーザー式のいわゆるマウスとしてのトラッキングの良し悪しなどはMighty Mouseの方が良いに決まっているが「あれっ?」と思うほど今となっては無骨なそのワンボタンマウスが手に馴染む気がした...。

※初代Macintosh 128Kなどに付属していたマウス。無論光学式ではなくボール式だ
マウスは基本的に机上で移動させるポインティングデバイスだ。その構造はいまさらであるがトレースの機能部分を内蔵したマウス本体と上面上部にあるべくボタンで構成される。そしてマウスのオペレーションとしては机上でのマウス移動は勿論、マウスボタンをクリックしたり、ドラッグ&ドロップのためにボタンをプレスしながらマウスを移動するといった動作を必要とする。
さてMighty Mouseの登場はWindowsユーザーのスイッチを考慮したのかコンテクストメニューを表示させる右ボタンのサポートなど、これまでのワンボタンとしてだけでなく左右ふたつのボタンをセンサーとして機能させるといった最新の工夫がなされている。
で、皆さんはこのマウス設定のとき右ボタン、すなわち副ボタンを活かしているだろうか?
私は長い間、ワンボタンマウスに慣れてきたこともありコンテクストメニューを出すだけならControlキーを併用すればいいではないかと考えるひとりだ(笑)。そしてなぜ副ボタン、すなわち右ボタンの機能を使わないかといえば「使いづらい」からなのだ。この「使いづらい」はマウスの持ち方と関係すると思われる。
手指の構造上、マウスボタンをクリックするために人差し指を使うとすれば親指と中指でマウス本体を保持することになるだろう。この点Windowsの2ボタンになれた人は文字通りボタンを人差し指と中指で行い、マウス保持は親指と薬指になるはずだ。
※旧式マウスの場合はボタンと本体が完全に分離しているため、本体保持位置の自由度が高くなっている
さてワンボタン派の私は親指と中指でマウスの両サイド、正確にいうならMighty Mouse両サイドにあるボタン位置を押さえつつ人差し指をマウスの上面に這わせば必然的なその位置方向はスクロール・ボタンの右側になる。
※私の場合Mighty Mouseを自然に右手で保持すれば写真のように人差し指はスクロール・ボール、すなわち右ボタン位置にきてしまう
このとき、もし右ボタンである副ボタンを機能させておくと当然のことながら左ボタンの主ボタンを押したことにはならない。したがってイライラする(笑)。
しかしこのとき人差し指をスクロール・ボタンの左側に位置しつづけることは手指の構造上かなり無理があり苦しいものとなる。
※両サイドのボタン位置をしっかり保持したまま、人差し指を左ボタン位置にするのは自然ではない(笑)
これまでAppleが開発したマウスはすべてワンボタン式であった。だからマウスの上部全面がこれボタンです...といった設計になっても、ボタンはどこを押しても良いわけだから何の問題もなかった。しかし右ボタンをサポートするとなれば必然的にマウスそのものの持ち方も変えざるを得ない。
特に致命的なことはマウスボタンを押している際にもし机上やマウスパッドの端にきてしまった場合、ボタンを離さずマウスを移動させるとなれば現在のMighty Mouseは大変やりにくいのだ...。何故ならこのとき当然のことながらマウスは机上やマウスパッドから浮かせて移動しなければならないがボタンに関係ない部分は事実上マウスの両サイドボタン部分のみだから正確にこの部位を保持したままでマウスボタンもプレスしたままにする...といったことをやらなければならない。これは正直大変やりにくい...。
なぜMacintosh 128K時代のマウスを久しぶりに使ったときに安定感と共に「使い良い」と感じたかだが、Mighty Mouseを保持する際に無意識にもかなり手の位置を無理しているからではないかと思いついた...。
まあ、マウスの持ち方ひとつでも人それぞれだし癖やこれまでの経験で大きく違ってくるに違いない。したがって断定的なことは言えないがMighty Mouseはデザインを第一に開発されたように思われてならない。確かにそのシンメトリーの姿は美しいが、真のエルゴノミクスを考慮したマウスに進化する余地を多々残した製品であることをあらためて思い知らされた次第である。
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